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2007年3月27日 (火)

1189年 (文治5年)2月30日 「吾妻鏡」「阿武郡を東大寺に進じ、遠平の代官に退去を命ず」

1189年 (文治5年 己酉)

2月30日 「吾妻鏡」壬寅
「阿武郡を東大寺に進じ、遠平の代官に退去を命ず」
 長門の国(ながと、山口県西部・北部)阿武郡は、平家からの没収領の内たるの間、ほうびとして土肥の彌太郎遠平に賜えたと雖も、東大寺御建造の材木の切り出しの為地頭職を去り進上すべきの由、勅定有るに依って、退出すべきの由命令されるの処、遠平の代官は今も居住するの由遠聞に及ぶの間、重ねて御手紙を遣わされた。
   下す 長門の国阿武郡
    前の地頭遠平の代官、早く郡内を退出せしむべき事
   右件の地頭職、停止せしむべきの由、法皇の役所の御命令文を作成し下されるの処、遠平の代官は今も久しく留まり、濫妨(略奪)を致すの由その聞こえが有る。所行の旨、甚だ以て不当である。早く郡内を退出せしむべきの状件の如し。以て下す。
     文治五年二月三十日
「安房・上総・下総の地頭に荒野を開墾せしむ」
 また安房(あわ、千葉県南部)・上総(かずさ、千葉中央部)・下総(しもうさ、千葉県北部)等の国々、多く以て荒野有り。而るに人民が耕作せざるの間、更に公私の益無し。仍って浪人を招き居き、これを開発せしめ、年貢に備えるべきの旨、その所の地頭等に命令されたようです。
(注釈)
勅定(ちょくじょう)・・・天皇が親しく定めること。

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