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2007年3月13日 (火)

1188年 (文治4年)2月2日 「吾妻鏡」「地頭の所領につき諸人愁訴す」

1188年 (文治4年 戊申)

2月2日 「吾妻鏡」戊辰
「地頭の所領につき諸人愁訴す」
 所々の地頭等の所領以下の事、京都より、或いは権力者との縁故に属き、或いは手紙を献じ、愁いを申す人々これ多し。仍ってその御指図が有りました。而るを検非違使の尉の公朝は去年の冬より鎌倉に在りました。 近日帰京すべきの間、その意を得て彼の訴えの箇条を申し上げる為、題目を一紙に載せ、公朝に与えるべき事のようです。彼の公朝が下向の次いでに、手紙等その指図有る所である。
 御事書に云く、
   宝殿
    越後の国の奥山庄の地頭の不当の事。
   修理大夫家(藤原定輔)
    尾張の国の津島社、板垣の冠者が所当をわきまえざるの由の事。
   右衛門の佐御局
    信濃の国の四宮庄の地頭、年貢並びに領家の取り分を進弁せざる由の事。
   大宮御局
    伊勢の国の志禮石(しれし)御厨、宗輪田右馬の允の不当の事。
   賀茂神主
    大夫判官(義経)捜し求めるの由の事。
    高雄上人(文覚)が宣旨に背き神領を押領する由の事。
   新中将殿(藤原家房)
    伊賀の国の若林御園の内七町九段を妨げるの由の事。
     佐々木の太郎(定綱)方 五町四段
     平六兵衛の尉  壹町五段
     阿保別府    壹町
   公朝
    備前の国の吉備津宮領の西野田保の地頭職貞光の事、道理に任せ被告人の妨げを停止し、本の如く相違無く知行せしめんと欲する事。
 以上の所々、尤も御成敗有るべきの処、凡そ此の如きの訴訟は、天皇より命令が下されるの時は、とやかく言う事無く成敗させると雖も、ひそかに縁故をたより触れ来たるに付いては、全く指図を致すべきではないものである。善悪の御定めに於いては、あれこれの指図は出来ない事である。縁故を以て指図いたせば、世間の人は定めて不公平に似たる事を思うだろう。仍って今度は御指図は無きものである。

3月14日 庚戌
「平康頼、地頭の押妨を訴ふ」
 前の廷尉(平)康頼入道が訴訟書を差し上げた。これ去年阿波の国の麻殖(おえ)保々司職を拝領した。仍って使者を遣わすと雖も、地頭の野三刑部の丞成綱が許容に能わざるの間、年具は手を空しくするの由これを記載した。当保は、内蔵寮の現物税の運上の地である。成綱が固く抑留するの間、度々法皇の命令を下されました。然れば件の租税を除いて、康頼は分割すべきの旨の御命令書を下されたようです。

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