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2007年2月22日 (木)

7月28日 「吾妻鏡」「新日吉領河肥・向津奥両庄の武士狼藉を停む」

7月28日 「吾妻鏡」癸卯
「新日吉領河肥・向津奥両庄の武士狼藉を停む」
 師中納言(経房)のご命令文書が到来した。新日吉領の武蔵の国河肥庄の地頭が徴収を拒否する去々年の年貢の事、並びに同領長門の国向津奥庄の武士の狼藉の事、庄家の上申書を取りこれを下された。早く尋問し成敗なされるべきの由、これを記録された。去る六月一日の御文書である。向津奥の事は、尋問すべきの趣、当座に於いて直に下河邊庄司行平にご命令された所である。河肥の事は管理を請け負う所である。但し領主は幼少の間、年貢の如き事、殊に不法の事有るようです。別の執行人を差し向け、厳密な識別を致させるべきの旨、御文書を武蔵の守(大内義信)の許に遣わされたようです。
(藤原)俊兼が執行人のようです。

8月5日 「吾妻鏡」己卯
「新日吉領の狼藉停止の請文」
 師中納言(経房)のご命令文書に就いて、御答申書を進上された。これ新日吉領の武蔵の国河越庄の年貢の事、並びに長門の国向津奥庄の狼藉の事等である。(北条)平五盛時が執筆したようです。
 六月一日の御文書は、七月二十八日に到来しました。謹んで以て拝見させて頂きました。新日吉社の御領の武蔵の国河肥庄の事、本より管理を請け負う所として、御年貢を進上している所であります。而るに去年、荘園の領有者が死去されたの由承りますに依って、年貢を進上すべきの所が不明でありました。仍って荘園の領有者を相待たせたるの間、彼の年貢をそのままに保管しておりました。地頭がほしいままに抑留するの儀ではないのです。而るに今前の荘園の領有者の孫、禅師の君を以て荘園の領有者と為すべきとならば、早くその旨をお知らせなされて、年貢を指図し進上させるべきの由、地頭に命令させるべきであります。且つは社役を先として、今年より怠り無く指図を致させるべきの由、命令させるべきであります。
 同じく御領の長門の国向津奥庄の地頭は、謀叛人の豊西郡司弘元の領土であります。仍って景国を以て地頭に任命させた処、種々の悪行を致しましたの條、事実でありますので、とやかく申す事は出来ないのであります。早く帰京を企て、且つは詳細を申し開きさせ、且つは天皇の採決を頂くべし。兼ねて乱暴を停止し、社家の使の支配に随うべきの由、命令させた所であります。件の書状一通、謹んで以てこれを進上いたします。この旨を以てついでの時にそっとお聞かせなさるべきであります。頼朝が恐れながら申し上げます。
     八月五日           頼朝(裏御判)

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