11月7日「義経の武勇と仁義後代の佳名に貽(のこ)る」
11月4日 天晴
「義経太田との合戦に勝利す」
11月5日
「義経室津にて乗船」
11月7日[玉葉]
「義経等誅伐せられば天下の大慶なり」
夜に入り、人が言うには、九郎義経・十郎行家等、豊後の国の武士の為誅伐されたようだ。或いは云く、逆風の為海に入るようだ。両説つまびらかならずと雖も、船出は安穏ではないようだ。もし事実ならば、仁義の感報すでに空し。遺恨に似たると雖も、天下の大いに祝い喜ぶ事である。
(伝聞、豊後の武士等が義経等を討つ事は誤りのようだ)
「義経の武勇と仁義後代の佳名に貽(のこ)る」
義経は大功を成し、その詮無しといえども、武勇と仁義とにおいては後代の佳名を貽(のこ)す者か。嘆美すべし嘆美すべし。
「頼朝への謀反の心は大逆罪」
但し頼朝において謀反の心を起こすならば、すでにこれ大逆罪である。これにより天がこの災いを与えたか。およそ五濁の悪世、闘争堅固の世、かくの如き乱逆は踵を継ぎて絶えないものか。悲しむべし悲しむべし。
11月8日
「義経等の船大風に入海す」
「義経等和泉浦に逃れ家光梟首さる」
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