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2007年2月26日 (月)

9月25日 「吾妻鏡」「廣由良御庄濫妨に関する報告書」

9月25日 「吾妻鏡」戊辰
「時定より則国の報告書届く」
 (北条)平六兵衛の尉時定、召使(めしつかい)則国の書状二通を持参し進上した。書状の一通は他の従者が持参するようです。彼の一通が今日到しました。これ紀伊の国由良庄、七條の紀太が乱行の事である。
「廣由良御庄濫妨に関する報告書」
   下し遣わす 蓮花王院御領廣由良御庄、召使則国申す、籐三次郎吉助丸の謀略乱暴の事
 右、則国、法皇の命令をささげ持ち、御使(検非違使平六兵衛の尉の代官)を引き連れ、御庄に参り入る。根元を相尋ねるの処、彼の吉助、以前には左馬の頭(能保)殿の御使で字(あざな)は籐内と名乗る。而るに今則国が参り向かうの時、吉助申して云く、左馬の頭殿とは誤りである。吉田中納言(忠豪)阿闍梨の使なりと称し申て、法皇の命令に於いては用いるべからずとて、種々の悪口を放ち、御使を侮辱した。申して云く、我が兄弟は、伊豫の国に於いて法皇の力の強い者二人の頸を斬る。況や召使に於いては、指図に及ばざるの由これを申した。然れども則国は由緒を検非違所小目代に申し含め、詳細を開陳するの刻、謀略が露見した。準備が相違し、夜中に逃げ去りました。件の吉助は、(平)貞能法師の家来の高太入道丸の舎弟である。今また乱暴を巧み、蓮花王院の御庄を押領しようと欲した。罪過かたがた深きか。また件の阿闍梨は、七條の紀太守貞の手より文書を取り、賄賂(わいろ)にふけり、北條の小御館(こみたち)を相語り、謀略を巧む所であるようです。件の阿闍梨並びに七條の紀太を院の廰に召し取り、明らかな誡めを加えるならば、後日の狼藉は無いでしょう。仍って現在の状況を刻み込み、言上件の如し。
     文治二年九月十一日      御使召使藤井(判)

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