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2007年2月

2007年2月28日 (水)

1187年 (文治3年)1月19日 「吾妻鏡」「能保、土佐の希義墓田の横暴を停む」

1187年 (文治3年 丁未)

1月19日 「吾妻鏡」辛酉
「能保、土佐の希義墓田の横暴を停む」
 文治元年、(源)希義主の墳墓に寄付される所の土佐の国津崎の在家等、一般人の為乱暴狼藉を致されるの間、琳猷(りんいう)上人(土佐の国の僧侶)が右武衛(一条能保、妻は源頼朝の同母妹)に直訴しました。仍って乱暴を停止すべきの由命令を加えられました。彼の上人は関東に直訴すべきと雖も、行程は遠路を隔てるの上、武衛(能保)は二品(頼朝)の御補佐役として在京するの間、此の如しと。

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2007年2月27日 (火)

11月24日 「吾妻鏡」「現在謀反人の後のほか地頭の干渉を禁ず」

11月24日 「吾妻鏡」丁卯
「現在謀反人の後のほか地頭の干渉を禁ず」
 去る月八日の天皇の命令、同九日の法皇の命令、去る比到来した。今日御答申書を申し上げなされた。大夫屬入道(三好康信)・筑後権の守(俊兼)等所談を加えたようです。これ平氏追捕の跡の地頭等、指せる謀反の跡に非ずを以て、租税を割り当て徴集し、国や地方の役人等を煩わすの旨、国の長官・領有者が訴え申す所である。現在謀叛人の跡の外は、停止せしむべきの由と。
   太政官符 諸国
    早く国有地や庄園の地頭の非法濫妨を停止せしむべき事
 右内大臣が宣べ、天皇のお言葉を頂くにいわく、平氏を追伐せしむるに依って、その跡に任命された地頭等、勲功の賞と称し、指せる謀叛の跡に非ざるの処、加税を割り当て徴集し、警察裁判権を強行し、惣領の地本を妨げ、国・地方の役人以下の国・地方の官等を責め煩わすの間、国の長官・領有者訴え申す所である。然れば武家に命令して、現在の謀反人の跡の外は、地頭等の干渉を停止させるべきの状件の如し。天皇の命令に依ってこれを行へ。命令書が到着したら執行せよ。
     文治二年十月八日       正六位上行左少史大江朝臣
     修理佐宮城使従四位上左中弁兼中宮権大進藤原朝臣(光長)

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2007年2月26日 (月)

9月25日 「吾妻鏡」「廣由良御庄濫妨に関する報告書」

9月25日 「吾妻鏡」戊辰
「時定より則国の報告書届く」
 (北条)平六兵衛の尉時定、召使(めしつかい)則国の書状二通を持参し進上した。書状の一通は他の従者が持参するようです。彼の一通が今日到しました。これ紀伊の国由良庄、七條の紀太が乱行の事である。
「廣由良御庄濫妨に関する報告書」
   下し遣わす 蓮花王院御領廣由良御庄、召使則国申す、籐三次郎吉助丸の謀略乱暴の事
 右、則国、法皇の命令をささげ持ち、御使(検非違使平六兵衛の尉の代官)を引き連れ、御庄に参り入る。根元を相尋ねるの処、彼の吉助、以前には左馬の頭(能保)殿の御使で字(あざな)は籐内と名乗る。而るに今則国が参り向かうの時、吉助申して云く、左馬の頭殿とは誤りである。吉田中納言(忠豪)阿闍梨の使なりと称し申て、法皇の命令に於いては用いるべからずとて、種々の悪口を放ち、御使を侮辱した。申して云く、我が兄弟は、伊豫の国に於いて法皇の力の強い者二人の頸を斬る。況や召使に於いては、指図に及ばざるの由これを申した。然れども則国は由緒を検非違所小目代に申し含め、詳細を開陳するの刻、謀略が露見した。準備が相違し、夜中に逃げ去りました。件の吉助は、(平)貞能法師の家来の高太入道丸の舎弟である。今また乱暴を巧み、蓮花王院の御庄を押領しようと欲した。罪過かたがた深きか。また件の阿闍梨は、七條の紀太守貞の手より文書を取り、賄賂(わいろ)にふけり、北條の小御館(こみたち)を相語り、謀略を巧む所であるようです。件の阿闍梨並びに七條の紀太を院の廰に召し取り、明らかな誡めを加えるならば、後日の狼藉は無いでしょう。仍って現在の状況を刻み込み、言上件の如し。
     文治二年九月十一日      御使召使藤井(判)

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2007年2月25日 (日)

9月15日 「吾妻鏡」「群盗の張本平庄司脱獄す」

9月15日 「吾妻鏡」戊午
「梶原朝景帰参、洛中状況を報ず」
 梶原刑部の丞朝景、去る夜京都より帰参した。これ去年武士を二十六箇国に選抜し派遣された時、土佐の国に向かう所である。件の国、厳命の如くこれを指図し鎮定し参上した。今日御前に召し、京都市中の事等を尋問された。先ず豫州(義経)逐電の後、指図の次第並びに同意の者どもの事を詳細に言上した。
「群盗の張本平庄司脱獄す」
 また申して云く、去る三月の比、群盗の張本平庄司(丹波の国住人)を逮捕し京都の左京の獄舎に禁固して置いた。残余の人が競い来たりて、彼の獄を切り破り、庄司以下の犯人を悉く脱走させた。仍って長官の家通は廷尉(検非違使の尉)等に命令して、諸方を捜索すると雖も出来なかった。而るに八月十一日、朝景これを逮捕した。同二十一日に大理(検非違使の長官)の門下に引き立て参り、廷尉に請け取らせたようです。

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2007年2月24日 (土)

9月5日 「吾妻鏡」「賀茂別雷社領の地頭を停め、實平の狼藉を停む」

9月5日 「吾妻鏡」戊申
「諸国地頭に領家の所務缺怠を禁ず」
 諸国庄公の地頭等、領主の支配業務を軽んずるの由、その聞こえ有るに依って、有限の地頭の地代の外は相互に組み合わせるべきではありません。年貢以下の怠り緩みはあるべきではありません。違反し越権の者どもに於いては、殊に処罰有るべきの由定めらたようです。
「賀茂別雷社領の地頭を停め、實平の狼藉を停む」
 また賀茂別雷(わけいずち)社領の事、法皇の命令が到来するの間、地頭の支配を停止し、社家に支配させるの由命令されました。この外、同じく社領の備後の国有福庄、(土肥次郎)実平の狼藉を停止すべきの由のようです。
   下す 近江の国安曇河御厨
    早く定綱の知行を停止し、先例に任せ神役に勤仕せしむべき事
 右件の御厨(みくりや)は、賀茂別雷社領である。而るに近日彼の(佐々木)定綱の無道の支配に依って、有限の神職の欠けて怠たりに及ぶの旨、社家の申状を以て、法皇より命令が下される所である。自今以後に於いては、早く定綱の支配を停止すべし。武士の妨げの外は、直に天皇への申し上げを経て、御裁定を頂くべきの状件の如し。以て下す。
     文治二年九月五日

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2007年2月23日 (金)

8月26日 「吾妻鏡」「由良庄、宗紀太の濫妨を停め、領家藤原範季に知行せしむ」

8月26日 「吾妻鏡」庚子
「由良庄、宗紀太の濫妨を停め、領家藤原範季に知行せしむ」
 蓮花王院領の紀伊の国由良庄に於いて、七條細工宗紀太(守貞)が謀略を廻らし乱暴を致すの由、領家(藤原)範季朝臣の詔書並びに法皇の命令が到来したので、今日命令されたようです。
   命令する 蓮花王院御領紀伊の国由良庄官
    早く銅細工字七條の紀太が妨げを停止すべき事
   右件の御庄、彼の細工の謀略を停止し、法皇の命令に任せ、領家の庄務を執行せしむべきの状件の如し。以て命令する。
     文治二年八月二十六日
 廣由良庄の乱暴の事、詔書を進上した。申し上げ命令なさるべきであります。七條の紀太丸の謀略は殊に勝っております。尤も重罰に処分されるべきであります。領有者と称する者は(平)基親朝臣のようです。詳細を知らざる田舎人、猶以て此の如きの狼藉を計画したようです。以ての外の事であります。なかんずく南山にお出かけの由その聞こえがあります。彼の庄は相違なくば、桧物具等叶うべきもない。年来垰田(かせだ)郷は件の役に勤仕しています。而るに高雄寺の庄を建立せられました。片時と雖も急ぎご命令下さるべきであります。恐れながら申し上げます。
     閏七月二十四日        木工の頭範季(上)

 蓮花王院領の廣由良庄の妨げの事、領家範季朝臣が進上する所の詔書・證文の案等此の如し。詳細を尋ねらるべきの由、内々の御意向であります。仍って執啓(とりつぎ)件の如し。
     後七月二十九日        太宰権の師経房(奉る)

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2007年2月22日 (木)

7月28日 「吾妻鏡」「新日吉領河肥・向津奥両庄の武士狼藉を停む」

7月28日 「吾妻鏡」癸卯
「新日吉領河肥・向津奥両庄の武士狼藉を停む」
 師中納言(経房)のご命令文書が到来した。新日吉領の武蔵の国河肥庄の地頭が徴収を拒否する去々年の年貢の事、並びに同領長門の国向津奥庄の武士の狼藉の事、庄家の上申書を取りこれを下された。早く尋問し成敗なされるべきの由、これを記録された。去る六月一日の御文書である。向津奥の事は、尋問すべきの趣、当座に於いて直に下河邊庄司行平にご命令された所である。河肥の事は管理を請け負う所である。但し領主は幼少の間、年貢の如き事、殊に不法の事有るようです。別の執行人を差し向け、厳密な識別を致させるべきの旨、御文書を武蔵の守(大内義信)の許に遣わされたようです。
(藤原)俊兼が執行人のようです。

8月5日 「吾妻鏡」己卯
「新日吉領の狼藉停止の請文」
 師中納言(経房)のご命令文書に就いて、御答申書を進上された。これ新日吉領の武蔵の国河越庄の年貢の事、並びに長門の国向津奥庄の狼藉の事等である。(北条)平五盛時が執筆したようです。
 六月一日の御文書は、七月二十八日に到来しました。謹んで以て拝見させて頂きました。新日吉社の御領の武蔵の国河肥庄の事、本より管理を請け負う所として、御年貢を進上している所であります。而るに去年、荘園の領有者が死去されたの由承りますに依って、年貢を進上すべきの所が不明でありました。仍って荘園の領有者を相待たせたるの間、彼の年貢をそのままに保管しておりました。地頭がほしいままに抑留するの儀ではないのです。而るに今前の荘園の領有者の孫、禅師の君を以て荘園の領有者と為すべきとならば、早くその旨をお知らせなされて、年貢を指図し進上させるべきの由、地頭に命令させるべきであります。且つは社役を先として、今年より怠り無く指図を致させるべきの由、命令させるべきであります。
 同じく御領の長門の国向津奥庄の地頭は、謀叛人の豊西郡司弘元の領土であります。仍って景国を以て地頭に任命させた処、種々の悪行を致しましたの條、事実でありますので、とやかく申す事は出来ないのであります。早く帰京を企て、且つは詳細を申し開きさせ、且つは天皇の採決を頂くべし。兼ねて乱暴を停止し、社家の使の支配に随うべきの由、命令させた所であります。件の書状一通、謹んで以てこれを進上いたします。この旨を以てついでの時にそっとお聞かせなさるべきであります。頼朝が恐れながら申し上げます。
     八月五日           頼朝(裏御判)

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2007年2月20日 (火)

6月21日 「吾妻鏡」「近畿の守護・地頭を停め、諸国武士の濫妨を禁ず」

6月21日 「吾妻鏡」丁卯
「近畿の守護・地頭を停め、諸国武士の濫妨を禁ず」
 行家・義経の隠れ居所を捜索する為、京都近国に於いて守護・地頭を任命された処、その者どもは事を兵粮米の徴収に寄せ、年貢の厳しい催促を連日にした。万民これが為に苦しみ悲しみを嘆き訴えることを含み、諸国この事に依って衰え疲れたようです。仍って義経の落着を待たるべきと雖も、人の嘆きは有るようだ。
 諸国守護の武士並びに地頭等、早く停止すべし。但し京都近国の平家から没収の跡に於いては除外すべきの由、二品(頼朝)は京都に申し上げた。師中納言を以て天皇に申し上げすべきの旨、御文書を廷尉の(大江)公朝が帰京のついでに送られた。また因幡の前司廣元が使節として上京する所である。
「武士の濫妨を停むべき国々」
 天下を清らかに治める為法皇の命令を下され、非道を問いただして非難し、また武士の乱暴を停止すべき国々の事
    山城国 大和国 和泉国 河内国 摂津国 伊賀国 伊勢国 尾張国 近江国
    美濃国 飛騨国 丹波国 丹後国 但馬国 因幡国 伯耆国 出雲国 岩見国
    播磨国 美作国 備前国 備後国 備中国 安藝国 周防国 長門国 紀伊国
    若狭国 越前国 加賀国 能登国 越中国 淡路国 伊豫国 讃岐国 阿波国
    土佐国
 右件の三十七箇の国々、法皇の命令を下され、武士の乱暴、方々の不都合な事を正し定め、非道を正理に直されるべきである。
「鎮西九国鎮定は経房の沙汰とす」
 但し九州九箇国は、師中納言殿の御指図である。然れば件の御進止の為、乱暴を鎮められ不都合な事を直さるべきである。
「伊勢の地頭を改補す」
 また伊勢の国に於いては、住人が非常に性質が悪く、人道にそむく心を挟み、すでに謀反を発揮しました。而るに件の余党、尚以て反逆心が不直にあるものである。仍ってその者どもを警戒する為、その替わりの地頭を任命せしめるものである。
 そもそも、また国々守護の武士、神社仏寺以下、諸人の領、頼朝の命令書を持たず、由緒無く自由に任せ押領するの由、尤も驚き思いなさる所である。今に於いては、法皇の命令を彼の国々に下され、武士の濫行・方々の不都合な事を停止され、天下を清らかに治めるべきである。凡そ伊勢の国に限らず、謀叛人が居住の国々、凶徒の所帯跡には、地頭を任命せしめる所である。然からば庄園は本家・領家の所役、国の役所は国役の雑事、先例に任せて勤仕せしむべきの由、命令せしめたる所である。各々この状をつくし、公事を先とし、その職を執行させたる事は、何事かこれに及ばないだろうか。もしその中、本家の事を用いず、国の役所の役を勤めず、偏に以て不当を致せしめある者どもをば、ご命令下されあるに随い、その誡めを加えるべきである処であります。なかんずくに武士等の中には、頼朝もいないので、知り及ばずの所を、或いは人の寄付と号し、或いは由緒無きの事を以て、押領せしむ所々、その数多くあるの由承りました。尤も法皇の命令を下され、先ず此の如きの不都合な事を直されるべきであります。また縦え謀反人の所帯として、地頭を任命される條、由緒有りと雖も、停止すべきの由御命令下されます所々に於いては、ご命令に随い停止すべきであります。法皇の命令にどうして違反すべきでしょうか。この趣を以て申し上げなさるべきの由、師中納言殿に申し上げるべきであります。
     文治二年六月二十一日     御判

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2007年2月19日 (月)

5月20日 [玉葉]「兼実能保に武士の狼藉を責む」

5月20日 丁酉 天晴 [玉葉]
「信円行家の兄弟大進君を召し送る」
 奈良の僧正(信円)が南都の寺僧(大進君、行家の兄弟と)を召し送られた。もし指せる犯過無くば、恥辱に及ぶの條、尤も不便の由を示された。件の者は朝廷より招集されるの儀に非ず。
「北条時定の召す処なり」
平六兼仗時貞が私の使者を以てこれを呼び出したようだ。
「兼実能保に武士の狼藉を責む」
仍って私(兼実)は使者を以て能保朝臣の許に仰せ遣わし曰く、御寺の事、偏に長者の第一である。もし犯人有らば、長者にお知らせし氏院より御寺に命令し、呼び出し進上すべきである。武士が直に家来を以て厳しく咎めるの條、太だ狼藉と謂うべし。此の如き事尤も押しとどめて止めさせるべきである。

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2007年2月18日 (日)

5月13日 「吾妻鏡」「洛中群盗頻発の院宣到来す」

5月13日 「吾妻鏡」庚寅
「洛中群盗頻発の院宣到来す」
 紀伊刑部(裁判・行刑)の丞(次官の下)為頼が飛脚として京都より到着した。法皇の命令書を持参する所である。夜を以て日に継ぎ進上すべきの旨、師中納言(経房)触れ命令されたようです。北條時政殿が関東に帰られるの後、京中の狼藉は数える事も出来ないほどであります。去る月の二十九日夜、上下七箇所に群盗が乱入したようです。

世間ではごうごうの事、定めて以て聞き及びでございましょうか。ちまたの説、御信受有るべからずと雖も、此の如き世人の噂、先々空しからずか。時政の在京、かたがた穏便に思いなさるに依って、他の武士に於いては、縦え招集し下すと雖も、彼の男に於いては、京中の守護を勤仕すること宜しかるべきの由、度々仰せ遣わされるの上、直に仰せ含められました。然れども猶以て下向の間、此の如き事等出で来るか。義経・行家等が京都市内に在るの由風聞した。もし事実ならば、天罰すでに至るか。何ぞ探し出されないだろうか。或る説、比叡山の僧兵の中に同意の者どもが有るようです。なかなか此の如き報告、もし事実たらば、朝家の為神妙の事か。日来所々にご命令なさると雖も聞こえなされ出す事無し。今に於いては、捜し尋ねられることその便有るか。但し證拠も無き事を以て構え出さば、たまたま残る所の天台仏法摩滅の因縁か。彼と云い是と云い、ただただ歎き思いなされるものである。此の如き事出来ぬれば、君のおん為曲無き事のみ出で来ば、かたがた驚き思いなさるものであります。去る月二十日の御手紙(使の侍は為頼)は一昨日到来しました。その便に付けこの旨を仰せ遣わすと雖も、且つは怠慢の疑い有り。且つは不審を散ぜんが為、重ねて仰せられる所であるというものである。法皇の命令は此の如し。仍って執啓件の如し。
     五月六日           経房
   謹上 源二位殿

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2007年2月17日 (土)

4月13日 「吾妻鏡」「時政帰参、京の諸務を報告す」

4月13日 「吾妻鏡」庚申
「時政帰参、京の諸務を報告す」
 北條時政殿が京都より参着した。京都近辺の指図の間の事、條々御質問が有り。また詳細を申された。
「謀反人の知行所検知の事」
 なかんずくに、謀反の者どもの知行の所々を記録し、その地を検知すべきの由言上すと雖も、これを許さなかった。
「前摂政家領の事」
 次いで前の摂政(基通)殿の家領等を仰せられた。当執柄(兼実)の方に譲渡され難き由の事、恩恵の詞を加えて計ひ申された。
「播磨守護人の事」
 次いで播磨の国の守護人が国領を妨げる由の事、在庁官人の書状・景時が代官の書状を下さると雖も、未だ善し悪しを申し切らず。
「今南・石負・弓削杣兵粮の事」
 次いで今南・石負両庄並びに弓削杣(ゆげのそま)の兵粮の事、度々法皇の命令を下されるの間、早く停止すべきの由、答申した文書を捧げて下向しました。
凡そ條々、去る月二十四日、法皇の使者が伝えるの由、毎事二品(頼朝)の御命に違わないようです。

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2007年2月16日 (金)

3月21日 「吾妻鏡」「諸国の兵粮米催しを停む」

3月18日 「吾妻鏡」丙申
「源俊隆、尾張の国中島郡所領安堵せらる」
 加賀の守俊隆と云う者が有りました。騎馬の先導以下の事、当時その任務の人が少数であるに依って、去年秋の比よりお仕えした。而るに豫州(義経)反逆の後、これを追及するが為、御家人等を発遣されるの処、俊隆領の一所の尾張の国中島郡に於いて、不慮の狼藉等有りと。仍って愁い申すに就いて、在国の者どもに準用すべからざるの由指図が有りました。安堵せしむべきの旨、厳密に仰せ下さると。

3月21日 「吾妻鏡」己亥
「諸国の兵粮米催しを停む」
 諸国への兵粮米の催促の事、今に於いては停止すべきの由宣下されると。これ神社・仏寺・権門・勢家凡そ人民の嘆き悲しみに依って、所々から訴えに及ぶの間、度々御指図を経られ、停止せしむべきの旨、すでに京都に申されました。

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2007年2月15日 (木)

3月16日 「吾妻鏡」「庄園の狼藉停止に関し、頼朝経房に書を送る」

3月16日 「吾妻鏡」甲午
「伊勢神領顛倒の奉行の事、諸国兵粮米停止の事、時政に伝ふ」
 山城(京都南部)の介(国の次官)久兼が使節として上京した。伊勢の国の神領の横領の執行等の事を申し上げた。また諸国兵粮米徴集の事、ようやく止めらるべきの由北條時政殿に申し上げた。これは狼藉に及ぶの旨、荘園の管理者に訴え有るが故である。これに依ってこの趣を天皇に申し上げ耳に達せられるべきの旨、師中納言(経房)の許に申された。
「庄園の狼藉停止に関し、頼朝経房に書を送る」
 諸国並びに庄園の事、狼藉を制止させる為、命令書を作成し送りました。知らせるため廻らした所であります。武士の中、群を抽んで不当の者どもがいるならば、早く招集し下すべきである。刑罰に処せらるべき者どもの事、気のふさぎし存じます。詳細は先日その次第を申しあげました。その許否は、所詮御思案に従うべきであります。天皇のお考えより起こらず、近習の者の御とがめ有るべきの由は、気のふさぎし申すことが出来ないものであります。その恐れあるが故であります。但し法皇はお知りなさざる事たりと雖も、すでに御定と称し、天皇の命令書を下されたの條、理由無き所行であります。この旨を以て公開なさるべきであります。おそれながら申し上げます。
     三月十六日           頼朝
   進上 師中納言殿

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2007年2月14日 (水)

3月10日 「吾妻鏡」「太神宮領地頭等狼藉を停止せしめ」

3月10日 「吾妻鏡」戊子
「太神宮領地頭等狼藉を停止せしめ」
 伊勢太神宮領の地頭等の中、すなわち完全に以下の事、精勤を致すべきの由、日来その指図有り。今日これを施行される。御信仰が他に異なるが故である。
   下す 伊勢の国神宮御領・御園・御厨の地頭等
  早く前例に任せ、御年貢の神役並びに領地所有者神職の取り分物を区別準備すべき事
 右、当国神領神民の中、狼藉を停止せしめ、有限の御年貢の雑事、並びに領地所有者神職・神主の取り分物、年貢の徴収に応じない事を致さず、前例に任せ区別準備させるべきである。もし処々の減収に依って、本法の認識を滞るならば、地頭の取り分と雖も、たしかに正物に用立てるべし。神役に於いては、敢えて欠乏すべきではないが故によるからである。御園・御厨の住人は宜しく承知すべし。遅滞すべからざるの状件の如し。
     文治二年三月十日

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2007年2月13日 (火)

3月2日 「吾妻鏡」「今南・石負庄の兵粮米停止せしむ」

3月2日 「吾妻鏡」庚辰
「今南・石負庄の兵粮米停止せしむ」
 今南・石負庄の兵粮米を停止すべきの由、昨日師中納言(経房)使者を以て、法皇の命令を北條殿に伝えられるの間、今日命令書を作成し進上する所である。
 北條殿言上の事申し上げるの由、左少弁師中納言に示し送られる所の状、黄門(経房)、北條殿に遣わすと。
「時政の地頭職辞退」
 時政の申請書を天皇に申し上げた。七箇国の地頭辞退の事、尤も穏であるとお聞きなされた。惣追捕使の事、何様にするべきや。勧農を遂げんが為地頭職を停止し、人の愁いを無くすのはなかなか神妙である、定めてその儀を為すか。兵粮米の未済の事、また以て同前である。春を迎えての厳しい取り立ては、貧乏で生活に困る人民若くは歎きを為すか。その條また定めて思案する旨に有る事か。平家から没収の所々を検知の事、二位卿(頼朝)の許より、朝廷へは申す旨もなく。次第は何様にあるのか。委趣の詳細を尋ね聞き、且つは企画し申請なさるべきの由、内々御意向があるものである。おそれながら申し上げます。
     三月二日            左少弁
      師中納言
「崇徳院領丹波栗村庄に武士の乱暴するを停む」
 今日、故前の宰相光能卿の未亡人の尼僧の阿光、去る月使者を関東に進上し、相伝の家領丹波の国栗村庄、武士の為妨害を成されるの由これを訴え申した。仍って早く乱暴を停止すべきの趣旨を命令されると。
   下す 丹波の国栗村庄
 武士の狼藉を停止せしめ、元の如く崇徳院御領として年貢を備進し、領家の支配に従うべき事
 右件の庄、崇徳院御領たるべきの由、法皇の命令を下される所である。而るに在京の武士、事を兵粮の徴集と称し、暗に以て横領した。今に於いては、早く元の如く彼の御領として、領家の支配に従い、年貢物納を備進せしむべきの状件の如し。以て命令する。
     文治二年三月二日

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2007年2月12日 (月)

2月13日 「吾妻鏡」「時政より静の事、群盗処刑の事を報ず」

1月11日 「吾妻鏡」庚寅
「高瀬庄の武家の狼藉を停む」
 高瀬庄(富山県)の事、武家の指図を交付すべからざるの由命令下さると雖も、北條時政殿が所存を保証書に記録し、師中納言(経房)に送られると。
 高瀬庄の事、兵粮米を猶予すと雖も、地頭や惣追捕使に於いては補佐せられたし。但し狼藉に於いては停止せしむべきである。

2月13日 「吾妻鏡」辛酉
「時政より静の事、群盗処刑の事を報ず」
 当番の家来が京都より参着した。北條時政殿の書状等を進上した。静女(静御前)を催促し送り進上すべし。
 また正月二十三日、同二十八日、京都市内に群盗が蜂起した。直ちにこれを逮捕して、去る一日に十八人をさらし首にした。数日を経れば刑罰に似たるの間、検非違使(警察)の廰に引き渡すに及ばず。直に指図を致したようだ。

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2007年2月11日 (日)

1186年 (文治2年)1月5日 [玉葉]「宇佐和気使、路頭にて狼藉出来す」

1186年 (文治2年 丙午)

1月5日 [玉葉]
「宇佐和気使、路頭にて狼藉出来す」
 午後2時頃、蔵人次官定経が来た。云く、去る冬派遣され出発した所の宇佐神宮(大分県)への使が、通ばたに於いて狼藉の事件が発生した。前進を遂げ難きの由申し上るに依って、内々北條時政に命じ、武士を派遣し、件の狼藉を鎮めんと欲すの間、重ねて播磨の国(兵庫県南西部)に於いて武士等の為乱暴の事件が発生した。神馬・神宝等を通ばたに棄て逃げ上りました。

1月9日 「吾妻鏡」戊子
「高野山領の兵粮米・地頭を停む」
 高野山の僧徒が訴え申す旨有るに依って、北條時政殿が命令を加えなさるの上、寺領の狼藉を停止させる為、家来の武士を派遣されると。
  下す 紀伊の国高野山御庄々
   早く兵粮米並びに地頭等を停止せしむべき事
 右件の御庄々は、彼の御山に仰せ下される所である。仍ってその制止を致せしめんが為、家来の守清を下し派遣する所である。これから以後に於いては、それぞれの狼藉を停止せしむべきである。且つは御庄々の保証書これを遣わす。敢えて遺失すること勿れ。
   故に下す。
     文治二年正月九日       平

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2007年2月10日 (土)

11月28日 「吾妻鏡」「時政、諸国守護地頭・兵粮米の事を奏請す」

11月28日 「吾妻鏡」
「時政、諸国守護地頭・兵粮米の事を奏請す」
 諸国平均に守護(しゅご)地頭(じとう)を任命し、官位高く権勢のある家柄の庄園公領を問わず、兵粮米(段別五升)を課税すべきの由、今夜北條(時政)殿が籐中納言(吉田)経房卿に会見し申すと。

11月28日 [玉葉]
「兵粮(段別五舛)を宛て催すべし」
 伝聞、頼朝代官の北條時政、今夜経房に会見すべしと。定めて重要事項等を示すか。又聞く、件の北條時政以下郎従等、相分ち京都近国・四国・中国・九州諸国を与え下された。庄園公領を問わず、兵粮(段別五舛)を課税し徴収すべし。ただに兵粮の徴収のみに非ず。惣て以て田地を土地を支配すべしと。凡そ言語の及ぶ所に非ず。
(注釈)
兵粮米(ひょうろうまい)・・・戦時における将兵の食糧。
段別五升(たんべつごしょう)・・・田一反あたり5升。
守護(しゅご)・・・宮廷の警護の催促、謀反人・殺害人の検断などを担当。
地頭(じとう)・・・行家・義経を捕らえる名目で、各地の荘園・公領に置いた。

11月29日 「吾妻鏡」
「諸国守護・地頭・兵粮米の事、勅許あり」
 北條殿申される所の諸国の守護・地頭・兵粮米の事、早く申請に任せ御指図有るべきの由仰せ下さるの間、師中納言(吉田経房)が天皇の命令を北條殿に伝えらると。

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2007年2月 9日 (金)

11月26日 [玉葉]「法皇は日本国第一の大天狗」

11月23日 天晴 
「北條四郎時政今日入洛す。その勢千騎と」

11月25日 「吾妻鏡」
「北條殿入洛す」
「行家・義経に追捕の宣旨下る」

11月26日 「吾妻鏡」
「高階泰経、謀反同意のとがにより籠居す」

11月26日 [玉葉]
「頼朝追討の宣旨奉行の人々、損亡すべし」
「頼朝書状」
「法皇は日本国第一の大天狗」

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2007年2月 8日 (木)

11月22日 「吾妻鏡」「義経、吉野山より多武峰に向ふ」

11月19日 「吾妻鏡」
「土肥實平上洛す」

11月20日 「吾妻鏡」
「八島時清、義経生存の報を京に伝ふ」

11月21日 天晴 
「頼朝の上洛決定留まりたり。」

11月22日 「吾妻鏡」
「義経、吉野山より多武峰に向ふ」

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2007年2月 7日 (水)

11月15日 「吾妻鏡」「頼朝の反論、日本国第一の大天狗」

11月14日 天晴 
「雅頼鎌倉の情勢を伝う」
「頼朝上洛の事」
「法皇と基通相似る君臣なり」
「北陸宮入洛」

11月15日 「吾妻鏡」
「頼朝の反論、日本国第一の大天狗」

11月16日 天晴 
「頼朝決定上洛すべしと」

11月18日 
「頼朝卿決定国を出て、当時駿河の国に就く」

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2007年2月 6日 (火)

11月10日 「頼朝追討の宣旨を下さるる」

11月10日 
「頼朝追討の宣旨を下さるる」

11月11日 
「三位中将の名良経、九郎の名義経なり義経須く改名すべきなり」

11月12日 
「義経等召し進すべしとの院宣下さる」

11月13日 天晴 
「関東の武士、多く以て入洛すと」

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2007年2月 5日 (月)

11月7日「義経の武勇と仁義後代の佳名に貽(のこ)る」

11月4日 天晴 
「義経太田との合戦に勝利す」

11月5日 
「義経室津にて乗船」

11月7日[玉葉]
「義経等誅伐せられば天下の大慶なり」
 夜に入り、人が言うには、九郎義経・十郎行家等、豊後の国の武士の為誅伐されたようだ。或いは云く、逆風の為海に入るようだ。両説つまびらかならずと雖も、船出は安穏ではないようだ。もし事実ならば、仁義の感報すでに空し。遺恨に似たると雖も、天下の大いに祝い喜ぶ事である。
(伝聞、豊後の武士等が義経等を討つ事は誤りのようだ)

「義経の武勇と仁義後代の佳名に貽(のこ)る」
義経は大功を成し、その詮無しといえども、武勇と仁義とにおいては後代の佳名を貽(のこ)す者か。嘆美すべし嘆美すべし。

「頼朝への謀反の心は大逆罪」 
但し頼朝において謀反の心を起こすならば、すでにこれ大逆罪である。これにより天がこの災いを与えたか。およそ五濁の悪世、闘争堅固の世、かくの如き乱逆は踵を継ぎて絶えないものか。悲しむべし悲しむべし。

11月8日 
「義経等の船大風に入海す」
「義経等和泉浦に逃れ家光梟首さる」

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2007年2月 4日 (日)

11月2日 「吾妻鏡」「義経海路逃亡のため友実に船を求めしむ」

11月1日 
「九郎等下向延引」

11月2日 「吾妻鏡」辛巳
「義経海路逃亡のため友実に船を求めしむ」
 豫州(義経)すでに九州に赴かんと欲した。仍って乗船を画策しめんが為、先ず大夫判官(藤原)友實を遣わすの処、庄の四郎(元豫州家人、当時相従わず)と云う者有り。今日途中に於いて友實に相逢う。問いて云く、今の出行は何事ですか。
「友実、旧家人庄四郎を誅す」
友實、実情に任せ事の由を答えた。庄は偽って元の如く豫州(義経)に従属すべきの趣を示し合わせた。友實またその旨を豫州に伝達すべしと称し、相具して進行した。ここに庄は忽ち廷尉(義経)に誅殺された。件の友實は越前の国齋藤の一族である。たれがみして仁和寺宮(守覚)に仕えた。元服の時平家に従属した。その後向背して木曽に相従う。木曽が追討されたの比、豫州(義経)の家人と為った。遂に以て此の如しと。

11月3日 
「洛中貴賤多く逃げ隠る」
「行家・義経西海に赴く」
「義経等京都にて関東勢支え難く下向す」
「義経等の所行義士というべし」

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2007年2月 3日 (土)

5月27日 「吾妻鏡」「賊が宮中の御座の御剣を盗む。武者所久実賊を捕ふ」

5月25日 「吾妻鏡」丁未
「頼朝、中原近藤に畿内の雑訴を成敗せしむ」

5月27日 「吾妻鏡」己酉
「賊が宮中の御座の御剣を盗む。武者所久実賊を捕ふ」

5月29日 辛亥 雨降る [吉記]
「平頼盛出家」

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2007年2月 2日 (金)

5月24日 「吾妻鏡」「義経、腰越えより款状を送る」

5月24日 「吾妻鏡」戊午
「義経、腰越えより款状を送る」
 源廷尉(義経)、思いの如く朝敵を平らげた。あまつさえ前の内府(宗盛)を引き連れ参上した。その賞を兼ねて疑わざるの処、日来不義の聞こえ有るに依って、忽ち御機嫌を損ない、鎌倉中に入れられず。腰越の駅に於いて、いたずらに日を過ごすの間、愁い思い悩むの余り、因幡(いなば、鳥取県東部)の前の国司(大江)廣元に宛てて一通の嘆願書をお送りした。廣元これを見分すと雖も、敢えて明快なお言葉無し。追って指図有るべきの由と。彼の書に云く、
「義経の腰越状」
 左衛門の少尉源義経恐れながら申し上げ候。意趣は、御代官のその一に選ばれ、天皇の命令の御使として、朝敵を滅ぼし代々の弓矢の芸を顕わし、昔の恥辱をそそいだ。多くの者からひきぬいて賞されるべきの処、思いの外きわめて危険なところの人をおとしいれるため、事実をまげ、またいつわってその人を悪く言うことに依って、莫大の勲功を黙止された。義経は罪無くして咎めを受けた。勲功は有りて誤り無きと雖も、御機嫌を損なうの間、空しく紅涙に沈む。
(中略)

平家の一族追討の為、上京せしむの手始めに、木曽「義仲」を征伐するの後、
(中略)

     元暦二年五月日          左衛門の少尉源義経
   進上 因幡前司殿

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2007年2月 1日 (木)

5月19日 「吾妻鏡」「京の群盗、遠江の不逞武士の鎮定等を評議す」

5月19日 「吾妻鏡」辛丑
「京の群盗、遠江の不逞武士の鎮定等を評議す」
 京都及び近国の群盗等が多発した。敢えて自由に行動させないことが困難の間、鎮定させるべきの詳細、今日指図の手続きをした。
 先ず平氏の家人等の中、戦場を脱出した者ども、元の在所に帰還し静かにひっそりと居住し、猶田園を管理した。あまつさえ、都と田舎に横行し、窃盗や強盗の犯罪を事と為すようだ。
 次いで近日、遠江の国(静岡県西部)居住の御家人等、武威を以て勝手気ままに内密に朝廷に申し上げ、或いは法皇の命令書を申し下し、或いは諸国に赴任した地方官・荘園の実際の所有者等の下文を横取りし、土地の利権を貪り公平を欠くようだ。
 次いで伊豆の守仲綱の息子で、伊豆の冠者有綱と称する者が、廷尉義経の聟として、多く京都付近の国の庄園や公領を横領するようだ。
 これらの條々の事、その聞こえ有るに依って、殊に朝廷に申し上げを経て、悉く以て罪状を問いただして処罰せしむべきの由定めらると。

5月23日 「吾妻鏡」丁巳
「高麗国に逃れし対馬守親光を召還せしむ」

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