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2007年1月 4日 (木)

1月9日 「光輔宅に群盗乱入す」

1月8日 壬辰 陰晴不定 [吉記]
「義経四国に向かうべき」
 大府卿が法皇御所に於いて示して云く、廷尉(ていじょう)義経四国に向かうべきの由申す所である。而るに自身は京中に滞在すべきか、ただ家来を差し遣わすべきかの由、申される人有り。且つはこれ忠清法師(平氏の家人、上総の介)が在京中の由が風聞した。定めて凶心を挿むかと。二三月に及べば兵粮は尽きたり。範頼もし引き帰すならば、管国の武士等猶平家に従属し、いよいよ大事に及ぶかの由、義経が申す所である。予申して云く、義経が申し状、尤もその理由が有る。大将軍は下向せず、家来等を差し遣わすの間、諸国の出費有りと雖も、追討の実は無きか。範頼下向の後この指図に及ぶか。然れば今春、義経が出発し尤も勝敗を決すべきか。忠清法師の事に於いては、指図に及ばざるか。但しその身を逮捕し進上すべきの由、尤も宣下されるべきか。義経が下向すと雖も、猶然るべきの者どもは、差し分け京都に駐在させるべきの由、尤も指図合わされべきである。御祈祷は微々、不便極まり無き事である。その用途無きと雖も、尤も諸社・諸寺に命令されるべきである。三種の神器の事、よくよく計り事を廻らすべきの由これを申す。
(注釈)
廷尉(ていじょう)・・・検非違使で左衛門尉を兼務している者。検非違使の官職名は判官。

1月9日 壬辰 陰晴不定 [玉葉]
「光輔宅に群盗乱入す」
今日隆職が来た。前に呼び、雑事を命令した。去夜、大内記光輔の家に群盗が乱入した。父長光入道も同居、同じくこの災いに遭う。所望により綿衣一領、小袖一領これを与えた。

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