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2007年1月30日 (火)

5月9日 「吾妻鏡」「渋谷重助の任官内挙なきため召名を除かる」

5月9日 「吾妻鏡」辛卯
「渋谷重助の任官内挙なきため召名を除かる」
 渋谷の五郎重助、関東の御推薦に預からず任官せしむ事、任命書を申し止めらるべきの旨、重ねて指図有り。これ父の重国は石橋合戦の時、武衛(頼朝)を射奉ると雖も、寛大な許しの儀に依って召し仕わるるの処、重助は猶平家に従属し、度々の招集に違背した。而るに平家が京都から退却の日、京都に留まり義仲朝臣に従属した。滅亡の後、廷尉義経専一の者と為る。條々のとがめ、精兵の一事に優先されるの処、結局任官せしめた。旁々然るべからざるの由その指図有り。今度、重国また豊後の国(大分県)に渡るの時は、先登の功有りと雖も、参州(範頼)に先立ち上京するの條、同じく以て不快。則ちこの條々を仰せ遣わさると。
「原田の所領功臣に分かち与ふ」
また原田(種直)(平家の味方)の所領は、勲功のある者どもに分ち宛てらるべきの由、参州に仰せ遣わさると。

5月10日 「吾妻鏡」壬辰
「伊藤忠清を逮捕、京送す」
 志摩の国麻生浦に於いて、加藤太光員の郎従等、平氏の家人上総の介忠清法師を搦め取る。京都に伝うと。

5月11日 「吾妻鏡」癸巳
「宗盛逮捕の功により頼朝従二位に叙せらる」

5月11日 [吉記]「沙汰を致す武士妨げの庄園等の注文、管国等狼藉有る」

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