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2007年1月16日 (火)

3月24日 「吾妻鏡」「壇浦合戦、安徳帝海底に没す」

3月24日 「吾妻鏡」丁未
「壇浦合戦、安徳帝海底に没す」
 長門の国(山口県西部北部)赤間関(下関)壇浦の海上に於いて、源平相対した。各々三町を隔て、舟船を漕ぎ向かう。平家は五百余艘を三手に分け、山峨の兵籐次秀遠並びに松浦党等を以て大将軍と為し、源氏の将帥に挑戦した。12時頃に及び平氏は終に敗退した。二品(二位時子)禅尼は宝劔を持ち、按察の局は先帝(安徳天皇、春秋八歳)を抱き奉り、共に以て海底に没した。建禮門院(藤重の御衣)は入水なされるの処、渡部党源五馬の允、熊手を以てこれを取り奉る。按察大納言の局同じく存命した。但し先帝終に浮かびなされず。若宮(今上の兄)は御存命のようだ。前の中納言(教盛、門脇と号す)は入水した。前の参議(経盛)は戦場を脱出し、陸地に至り出家し、立ち還りまた波の底に沈む。新三位中将(資盛)・前の少将有盛朝臣等同じく水に没した。前の内府(宗盛)・右衛門の督(清宗)等は、伊勢の三郎能盛の為生虜られた。その後軍士等が御船に乱入した。ある者は賢所(神鏡)を開き奉らんと欲した。時に両眼忽ち暗んで神心ぼう然たり。平大納言(時忠)が制止を加えるの間、彼等は退去した。これ尊神の別躰、朝家の惣持なり。神武天皇第十代崇神天皇の御宇、神威の同殿を恐れ、鋳改め奉らると。朱雀院の御宇長暦年中、内裏焼亡の時、円規すでに欠けると雖も、平治逆乱の時は、(源)師仲卿の袖に移らしめ給う。その後新造の箱に入れ奉り、民部卿資長蔵人頭としてこれを指図した。末世の今、猶不思議な変化を顕わす。仰ぐべし。恃(たの)むべし。

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