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2007年1月23日 (火)

3月27日「平氏長門の国に於いて伐たれたり」

3月27日 [玉葉]
「平氏長門の国に於いて伐たれたり」
 伝聞、平氏は長門の国(山口県西部北部)に於いて伐たれた。九郎の功のようだ。実否は未だ聞かず。

3月28日 辛亥 [玉葉]
「平氏伐たれたり」
 右少弁定長が来た。定長云く、平氏伐たれたの由、この間風を聞く。これ佐々木の三郎ト申す武士の説のようだ。然れども義経は未だ飛脚を進上せず。不審猶残るようだ。

3月29日 「吾妻鏡」壬子
「豊後住人に下す院宣案文関東に到着す」
 平氏追討の事、武衛(頼朝)申されるに依って、遠征軍の功を励ませる為、庁(法皇)の御下文を豊後の国(大分県)の住人等の中に下された。これ先日の事たりと雖も、彼の文書の写し、今日関東に到来する所である。
   院庁下す 豊後国の住人某等
    いよいよ征伐を専らにし、勲功を遂げ官位や賞品を期待すべき事
 右、平家謀叛の党類、四国辺の島を往復し、朝廷で立てた法規を軽視するの間、九州の辺民は多く鳥の集まるように規律もなく統一もない集群に入り、道理に背く企てを致させた。而るに当国の軍兵等、堅く国王の法令を守り、凶悪の側に味方せず。遂に数船を戦闘用に改装し、官軍を迎え取り、九州の者どもを服従させるべき由その聞こえ有り。殊に以て天子のおほめあり。いよいよ精鋭の兵を増し、彼の凶徒を討滅させるべきである。各々その功労により、申請に依り賞品を賜うこと有るべきである。当国の大名等、宜しく承知すべし。違反する勿れというべきである。仰せの所件の如し。故に下す。
     元暦二年二月二日

3月29日 [玉葉]
 定能卿が来た。平氏の間の事を語る。昨日定長の語る如し。

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