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2007年1月 9日 (火)

2月19日 「吾妻鏡」「義経屋島の内裏の向浦に到り民屋を焼き払う」 

2月18日 「吾妻鏡」壬申
「義経屋嶋に発向」
 廷尉(義経)は昨日渡部より渡海しようと欲するの処、暴風が俄に起こり、舟船が多く破損した。士卒の船等一艘として纜を解かなかった。ここに廷尉(義経)云く、朝敵の追討使は暫時逗留した。その恐れ有るべし。風波の難をかえりみるべからずと。仍って2時頃、先ず舟五艘を出した。6時頃、阿波の国椿浦に到着した(常の行程では三箇日である)。則ち百五十余騎を率い上陸した。当国の住人近藤七親家を招集し仕承と為し、屋嶋に出発した。路次桂浦に於いて、桜庭の介良遠(散位成良の弟)を攻めるの処、良遠は城から退却し行方をくらましたようだ。

2月19日 「吾妻鏡」癸酉
「義経屋島の内裏の向浦に到り民屋を焼き払う」 
 また廷尉(義経)は昨日の終夜、阿波の国(徳島県)と讃岐(香川県)との境の中山を越え、今日8時頃屋島の内裏(だいり)の向浦に到着し、牟礼高松の民屋を焼き払った。これに依って先帝(安徳天皇)は内裏を出でなされた。前の内府(宗盛)また一族等を相率い海上に浮かぶ。廷尉(赤地錦の直垂・紅下濃の鎧を着し、黒馬に駕す)、田代の冠者信綱・金子の十郎家忠・同余一近則・伊勢の三郎能盛等を相具し、なぎさに馳せ向かう。平家また船に棹(さお)さし、互いに矢石(しせき)を発つ。この間佐藤三郎兵衛の尉継信・同四郎兵衛の尉忠信・後藤兵衛の尉實基・同養子新兵衛の尉基清等、内裏並びに内府休幕以下の舎屋を焼失した。黒煙天にそびえ、白日光をさえぎる。
(注釈)
内裏(だいり)・・・天皇の居所としての御殿。
矢石(しせき)・・・矢と弩(いしゆみ)の弾石。やだま。

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