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2007年1月15日 (月)

3月22日 「吾妻鏡」「義経数十艘の兵船を促し、壇浦へ」

3月21日 「吾妻鏡」甲辰 甚雨
「周防の国の舟船奉行、数十艘を献ず」
 廷尉(義経)は平氏を攻める為、壇浦に出発向しようと欲するの処、雨に依って延引した。爰に周防の国(山口県東部)在廰船所の五郎正利、当国の舟船奉行たるに依って、数十艘を献ずるの間、義経朝臣に文書を正利に與えた。鎌倉殿の御家人たるべきの由と。

3月22日 「吾妻鏡」乙巳
「義経数十艘の兵船を促し、壇浦へ」
 廷尉(義経)は数十艘の兵船を促し、壇浦を差し出航した。昨日より乗船を聚(あつ)め計略を廻らすと。三浦の介義澄この事を聞き、当国大島の津に参会した。廷尉曰く、汝すでに門司関を見る者である。今は案内者と謂うべし。然れば先登すべしといえり。義澄は命を受け、壇浦奥津の辺(平家の陣を去ること三十余町なり)に進み到る。時に平家これを聞き、船に棹さし彦島を出た。赤間関(下関)を過ぎ田の浦に在りと。

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