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2007年1月 6日 (土)

2月5日 「吾妻鏡」「散在の武士狼藉を致す」

2月5日 「吾妻鏡」己未
「散在の武士狼藉を致す」
 典膳(てんぜん)大夫(たいふ)の中原久経・近藤七国平が使節として上京した(先々使節たりと雖も、他人相替わる。今度世の中を治めると)。これ平氏を追討するの間、事を戦時における将兵の食糧と理由を付け、散在の武士、京都付近の地や近国の所々に於いて乱暴を致すの由、諸人の苦しみや悲しみを嘆き訴えることが有り。仍って平家滅亡を相待たれずと雖も、且つは彼の乱暴を停止させる為、派遣する所である。
(中略)

(注釈)
典膳(てんぜん)・・・内膳司(ないぜんし、天皇の食事担当)の次官。
大夫(たいふ)・・・五位。たゆう。

2月13日 「吾妻鏡」丁卯
「飢饉にて粮無き乗船無き」
 今日、伊澤の五郎の書状、九州より武衛(頼朝)の御館に到着した。その文章に云く、平家追討の計略を廻らす為、長門の国(山口県西部・北部)に入ると雖も、彼の国は飢饉(ききん)によりて行軍に携行する食糧無きに依りて、猶安藝の国(広島県西部)に引退しようと欲した。また九州を攻めようと欲するの処、乗船無きの間、進み戦わざるの由と。即ち御返事に云く、食糧無きに依って長門を退くの條、只今敵に相向かわずんば、何事か有らんや。
(中略)

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