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2007年1月13日 (土)

3月9日 「吾妻鏡」「兵粮その術無きに」

3月8日 「吾妻鏡」辛卯
「屋島の合戦すでに終わり」
「義経、屋島合戦を頼朝に報ず」
 源廷尉(義経)の飛脚が西国より参着した。申して云く、去る月十七日、僅かに百五十騎を卒い、暴風を凌ぎ、渡部より出航した。翌日6時頃に阿波の国(徳島県)に着き、則ち合戦を遂げた。平家の従兵、或いは殺され或いは逃亡した。仍って十九日、廷尉は屋島に向かわれた。この使その決着を待たず馳参した。
「屋島内裏焼亡す」
而るに播磨の国(兵庫県南西部)に於いて後を顧るの処、屋島の方に黒煙が天に昇る。合戦すでに終了した。内裏以下焼亡その疑い無しと。
(注釈)
廷尉(ていじょう)・・・検非違使で左衛門尉を兼務している者。検非違使の官職名は判官。

3月9日 「吾妻鏡」壬辰
「兵粮その術無きに」
「範頼窮状を頼朝に告ぐ」
 参河の守(範頼)九州より書状を差し上げて云く、平家の在所近々たるに就いて、相構えて豊後の国(大分県)に着くの処、一般の人民悉く逃亡するの間、兵粮その術無きに依って、和田の太郎(義盛)兄弟・大多和の次郎(義成)・工藤一臈(祐経)以下侍数輩、推して帰参しようと欲するの間、まげてこれを抑留し、相伴い渡海した。猶御旨を加えらるべきか。
「熊野湛増讃岐に渡る。」
次いで熊野の別当湛増、廷尉(義経)の引級に依って追討使を承り、去る比讃岐の国(香川県)に渡る。今また九州に入るべきの由その聞こえ有り。四国の事は義経これを承る。九州の事は範頼承るの処、更にまた然る如きの輩にぬきんぜられば、ただに身の面目を失うのみならず、すでに他の勇士無きに似たり。人の思う所尤も恥と為すと。

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