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2007年1月12日 (金)

3月4日 「吾妻鏡」「在洛の武士狼藉」

3月4日 「吾妻鏡」丁亥
「在洛の武士狼藉」
 京都付近の国々の乱暴狼藉を鎮める為、典膳大夫(中原)久経・近藤七国平を以て、御使としてすでに差し遣わされた。而るに猶在京の武士が乱暴を現すの事情を聞き及びなされるに依って、法皇の疑問の恐れを和らげる為、その詳細を言上されると。
 武士を上京させる事は、朝敵を追討させる為であります。朝敵がいなければ、武士また上京させるべきではありません。武士また上京させなければ、狼藉を致すべきではありません。而るに朝敵の人々は海を隔つの間、今に追討を遂げる事が出来ません。あちこち転戦中の武士、国々庄々で四度の計略が無き事、その聞こえ多くあります。仍って追討される以後、命令し直すべきの由、そのような思案はありますと雖も、近国に於いては、且つは不正を正す為、使者二人を上京させる所であります。その以前に不覚の者があるならば、ただ法皇の命令を守り、御使に相副え、計略を廻らし行なうばかりであります。従わない者が進退するならば、定めて自由の振る舞いに似たものであります。頼朝の威勢に強くなり、武士が乱暴の事、停止させるべしの計略であります。詳細は書状に乗せ、使者に持たせました。この旨を以て申し御命令されるようお願いいたします。
恐々謹言。
     三月四日           頼朝
   謹上 籐中納言殿
(注釈)
恐々謹言(きんげん)・・・手紙の末尾に用いて、敬意を表す語。

3月4日 [玉葉]
「義経が凶党を追討」
 隆職が追討の間の事を記録し送る。義経が許より上状を申すと。去る月十六日出航した。十七日阿波の国に着いた。十八日屋島に押し寄せ、凶党を追い落とした。然れども、未だ平家を伐ち取らないようだ。

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