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2007年1月 3日 (水)

1185年 (元暦2年)1月6日 「吾妻鏡」「船無く粮絶え、船を用意し兵粮米を送る」

1185年 (元暦2年、8月14日改元 文治元年 乙巳)

1月6日 「吾妻鏡」
「船無く粮絶え、船を用意し兵粮米を送る」
「乗馬を所望、馬は送らぬ」
 平家を追討する為、九州に滞在する東軍の将兵等、船が無く食糧が絶えて合戦の算段を失うの由、その聞こえ有るの間、日来指図有り。船を用意し兵粮米を送るべきの旨、関東の国に命令される所である。その趣を以て、九州に命令を遣わそうと欲するの処、参河の守範頼(去年九月二日出京し九州に赴く)去年十一月十四日の飛脚、今日参着した。食糧が欠乏するの間、将兵等は一致団結せず。各々本国を恋い、過半は逃れ帰ろうと欲すようだ。その外九州の各種状況を申された。また乗馬を所望されるようだ。この申し状に就いて、いささか御不審を散ずと雖も、猶雑色の定遠・信方・宗光等を下し遣わされた。但し定遠・信方は在京した。京都より同道すべきの旨、宗光に命令含められた。宗光は委細の御文書を所持した。これは九州に於いて指図有るべきの條々である。その書状に云く、十一月十四日の御文書、正月六日に到来した。今日これより飛脚を立てようとしている程に、この飛脚が到来し、申し遣はしたるむね詳細に承りました。筑紫の事、なかなか従がわないとこそ思う事にていなさるべし。物騒がしからずして、よくよく静かに指図なさるべし。構えて構えて国の者共に憎まれずしているように。馬の事、実にそうあるべき事にてはあれども、平家は常に京都をうかがふ事にてあれば、もしおのづから道にて押し取られなどされる事は、聞く耳も見苦しき事にてありますので、送りません。又内藤六が周防の軍勢を以て志を妨げているのは以ての外の事である。
(中略)

「九国の御家人への御下文」
  また御下文一通、九国の御家人の中に遣わさる。その状に云く、
下す 
鎮西九国の住人等
 早く鎌倉殿の御家人として、且つは本所を安堵し、且つは参河の守の下知に随い、同心合力し朝敵平家を追討すべき事
 右彼の国々の者どもに命令する、朝敵を追討すべきの由、法皇の命令が出た。仍って鎌倉殿の御代官が両人上京するの処、参河の守は九国に向かい、九郎判官を以て四国に派遣する所である。ここに平家、たとえ四国に在りと雖も、九国に着くと雖も、各々且つは法皇の命令の旨を守り、且つは参河の守の下知に随い、同心合力せしめ、件の賊徒を追討すべきということである。九国の官兵、宜しく承知し、不日に勲功の賞を全うすべし。
以て下す。
     元暦二年正月日        前の右兵衛の佐源朝臣

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