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2006年12月22日 (金)

4月10日「頼朝は義仲追討の賞により正四位下に叙さる」

4月7日 天晴 
 雅頼卿が来た。世上の事を談じた。頼朝卿の後見の史大夫清業、去る比納言(雅頼)の許に来たり語りて云く、兼実の事、頼朝は推挙堅き事を存ずるようだ。奏聞の日、八幡(頼朝が祝い奉ると)の宝前に於いて、能く祈念致すの後、廣元に仰せこれを書かせたようだ。

4月10日 「吾妻鏡」
「頼朝は義仲追討の賞により正四位下に叙さる」
 源九郎の使者が京都より参着した。去る月二十七日除目(人事異動)有り。武衛(頼朝)正四位下に叙し給うの由これを申した。これ義仲追討の賞である。彼の文書を持参した。この事、藤原秀郷朝臣は天慶三年三月九日、六位より従下四位に昇る例がある。武衛(頼朝)の御本位は従五位下である。彼の例に准ずるもののようだ。また忠文(宇治民部卿)の例に依って、征夷将軍の宣下有るべきかの由、その指図が有り。而るに越階の事は、彼の時の准拠然るべし。將軍の事に於いては、節刀(天皇が与える刀)を賜い、軍監(征夷使の第3等官)軍曹(軍監の次)に任ぜられるの時、除目を行わる。今度の除目に載せらるの條、始めてその官を置くに似たり。左右無く宣下せられ難きの由、諸卿が議論有るに依って、先ず叙位のようだ。

4月16日 去る夕より雨降り、午上甚雨、午後天晴れ
「元暦と改元」
  改元。壽永三年を改め元暦元年と為す。
この日改元の事有り。去年その儀有りと雖も、即位以前たるに依って、遂げられずと。然れども天下猶静まらざるの間、即位また急ぎ行はれ難し。年を踰えるの後すでに数月に及ぶ。仍って乱逆止まざるに依って、即位以前行われる所である。
俊経卿(大応・弘治・大喜)、
兼光卿(元徳・文治)、
光範朝臣(元暦・恒久・承寛)、
業實朝臣(顕宝・応暦)。

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