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2006年12月25日 (月)

6月16日・・・23日

6月16日 晴れ
早朝範季が来た。世間の秘事を談じた。 
或いは云く、平氏の党類、備後の国(広島県東部)に駐在する官兵を追い散らしたようだ。土肥の二郎實衡(頼朝の郎従なり)息男早川の太郎のようだ。仍って播磨の国(兵庫県南西部)に駐在した梶原平三景時(同郎従)、備前の国(岡山県南東部)に越えた。その隙を聞き、平氏等少々室泊に来着し焼き払うようだ。仍って京都の武士等を招集し派遣するようだ。凡そ追討の間、指図太だ泥の如し。大将軍は遠境に在り。公家の事指図に人無し。ただ天狗が万事を支配する様である。指図無し。お祈り無し。何を以て安全を期すべきや。悲しむべし悲しむべし。
但し平氏の事は終始叶うべからざる事である。

6月17日 陰晴不定
 平氏は強勢のようだ。京勢は僅かに五千騎に及ばないようだ。

6月21日 晴れ
 伝聞、頼朝の上京は八月のようだ。

6月23日 晴れ
 晩に及び右中弁行隆が来た。みす前に呼び大仏の間の事を問う。答えて云く、御身に於いては皆悉く鋳奉りました。来月の内その功を終るでしょう。その後滅金(めっき)を塗り奉り、開眼有るべきである。滅金の料金、諸人の寄進が少々有るの上、頼朝が千両、秀平が五千両の寄進の由承る所であるようだ。(中略)また語りて云く、平氏は太だ強勢のようだ。源氏の武士等は気色を損じた。大略平氏落ちるの時のように、決定的な大事が出で来るかと。

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