« 4月27日[吉記]「平氏は強勢」 | トップページ | 6月16日・・・23日 »

2006年12月24日 (日)

5月15日 「吾妻鏡」「義廣の首を獲る」

5月1日 「吾妻鏡」
 故志水の冠者義高の従類等が、甲斐・信濃等の国に隠居せしめ、叛逆を起こさんと似せるの由風聞するの間、軍兵を遣わし征罰を加えらるべきの由、その指図有り。足利の冠者義兼・小笠原の次郎長清が御家人等を相伴い、甲斐の国に出発すべし。また小山・宇都宮・比企・河越・豊島・足立・吾妻・小林の輩、信濃の国に下向せしめ、彼の凶徒を捜し求むべきの由定めらると。この外、相模・伊豆・駿河・安房・上総の御家人等、同じくこれを相招集し、今月十日進発すべきの旨、義盛・能員等に仰せらると。

5月2日 「吾妻鏡」
  志水の冠者誅殺の事に依って、諸国の御家人が馳参した。凡そ群を成すと。

5月15日 「吾妻鏡」
「義廣の首を獲る」
 午後4時頃、伊勢の国の馳駅が参着した。申して云く、去る四日、波多野の三郎・大井兵衛次郎實春・山内瀧口三郎、並びに大内右衛門の尉惟義の家人等、当国羽取山に於いて、志田三郎先生義廣と合戦した。殆ど終日に及び雌雄を争う。然れども遂に義廣の首を獲ると。この義廣は、年来反逆の志を含み、去々年軍勢を率い、鎌倉に参らんと似せるの刻、小山の四郎朝政これを相防ぐに依って、成らずして逃亡し、義仲に従属した。義仲滅亡の後また逃亡した。かってその生死を判別出来ない間、武衛(頼朝)の御憤り未だ休まざるの処、この告げ有り。殊にお喜びなさる所である。

|

« 4月27日[吉記]「平氏は強勢」 | トップページ | 6月16日・・・23日 »