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2006年12月21日 (木)

3月23日「頼朝兼実を摂政籐氏長者となすべき事等を院に奏す」

3月23日 天晴 
「頼朝兼実を摂政籐氏長者となすべき事等を院に奏す」
光長(左少弁藤原)が告げ送りて云う、広季(次官中原親能の父)只今入り来たりて云く、頼朝は条々の事を法皇に申し上げた。その中に兼実が摂政籐氏長者たるべきの由挙げしめたの由、広元(広季男なり)の許より告げ送る所であるようだ。即ちその原本を御覧を経るべきの由、広季が申せしむと。当時摂政もしその恩有るべくば、ただ一州を賜ひて足るべしと。件の書状に一見を加え返し遣わした。件の飛脚は去る十九日到来した。頼朝が法皇に申し上げする状、即ち広元が執筆し、泰経卿に付したようだ。同二十一日御返事を遣わし、急ぎ決定を申すべきの由仰せられたようだ。大略この事然るべからずと仰せられるものか。
或る人云く、去る十一日、左衛門の尉公朝が御使として下向した。即ちこの事頼朝の本意は此の如きの由、予め風聞するに依って、その詳細を仰せ遣わされたようだ。凡そこの事の次第、法皇のお考えに堪え難しと謂うべきである。
「院基通を贔屓(ひいき)す」

「兼実吉事ありと俗人謳歌するは尾籠なり」

(注釈)
摂政(せっしょう)・・・君主代わって政務を行う。
氏長者(うじのちょうじゃ)・・・氏の代表者。
籐氏長者・・・藤原氏の代表者。

3月28日 天晴 
「大除目というも別事なし」
 大除目たるべきの由、兼日謳歌した。而るに頼朝が申状に依って、珍事等止められたようだ。頼朝は正四位下に叙す。もしこれ所望か。将又推して行わるるか。然れば同じく直官に任ぜらるべきか。

3月29日 雨下る 
 或る人云く、入道関白(基房)並びに摂政(基通)の許より、各々使者を頼朝の許に送る。或いは貨物を送り、或いは陳状有りと。兼実はただ仏神に奉仕するのみ。

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