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2006年12月30日 (土)

8月21日「頼朝木瀬川に着す」

8月18日 晴
「義朝免罪せらるべき事」
 大外記頼業が来た。また云く、義朝(頼朝の父)の首は今も牢屋に在る。而るに罪を免除されるべし。その間の事考慮し申すべき由、泰経(大蔵卿、高階)が執行担当となりご命令を下された。(中略)或る人云く、文覺上人が上京し、在獄の義朝の首を取り、鎌倉に向かうべしと。

8月21日 晴 
「頼朝木瀬川に着す」
 伝聞、頼朝は鎌倉の館を出て木瀬川(伊豆と駿河の間と)の辺に到着し暫く滞在した。飛脚を進め申して云く、すでに上京仕る所である。但しひきはりても上京しないところである。先ず参河の守範頼(蒲の冠者これなり)、多数の勢を引率せしめ入京させる所である。一日と雖も、京都に滞在すべきでない。直ちに四国に向かうべき由を命令し含める所であるようだ。また聞く。荒聖人文覺を以て申して云く、当時摂政(基通)平妻を棄て置き京に留めた。敢えて過怠無きの上、法皇また此の如く思いなされた。異議有るべからず。兼ねてまた入道関白(基房)尤も顧問に備うべき人である。荘園を少し。然るべきの国一つを宛て与えるべしと。或る説に云く、文覺頗る不満の気配有るようだ。然れども、在獄中の義朝の首を取り来たるべきの由を命令されているようだ。

8月23日 晴 
「院頼朝を基通の婿とせんとすという」
 伝聞、摂政(基通)は頼朝の聟になるべしと。これ法皇が言われたようだ。仍って五條亭を修理し移住された。頼朝が上京の時新妻を迎える為のようだ。

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