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2006年12月 2日 (土)

2月11日「基房院の不興を蒙る」

2月11日 雨降り
「平氏誅罰の事により人々参院す」
平氏の首の事、協議し申す旨然るべし。また人々渡すべきではないの由を問い申した。而るに将帥等が殊に不満を申した。その上強いてまたものおしみに及ぶべきではない。仍って渡すべき由の仰せがあるようだ。
「基房院の不興を蒙る」
 伝聞、入道関白(基房)について法皇の御機嫌は殊に不快のようだ。内々仰せて云く、禅門(基房)は摂政を推挙すべき由を頼朝の許に文書を遣わした(去年七月の乱の後の事のようだ)。頼朝は口入を出来ないの由を答えたようだ。叉仰せて云う、去年7月、当時摂政を改められるべき儀あり。時に入道は12の亜相(師家)を推挙した。法皇許さず。右府(兼実)当仁の由を存じた。しかるに禅門申して云う、摂政の官職がもし右府の家に入らば、永くかの家に留まるべし。わが恥を雪(すす)ぐべからず。よって本人を改めらるべからず。且つこの申し状により動揺無しと。
「摂関家領分かち難し」
しかして禅門叉申して云う、然からば一所庄々、少々分かち賜うべしと。法皇は答えて云う、摂政氏の長者改易無くば、何ぞ所領の混乱に及ぶ事があろうか。されば、今義仲の乱逆の時に当たり、12の摂政を補佐し、数百の荘園を領有した。これ即ち法皇が先日摂政の家領輙く分かち難き由を示すにより、事をこの勅言に寄せ、一所も残さず押領したようだ。次第甚だ不満に思いあそばす所であるようだ。
「基房義仲に与し西国御幸を勧め申す」
叉去る冬西国へのお出かけあるべき由、義仲申し行う時、隆憲を以て使いとなし、禅門は頗りに勧め申された。この事忘れ難しと。(以上は法皇の仰せ)。この事確かなる説を以て聞く所である。また聞く。平氏の許に書状を遣わし、音信を通すの人、勝げて数えるべからず。王侯卿相・被官・貴賤上下、大都洛人残る輩無し。就中、法皇の近臣甚だ多しと。私はこの事聞くと雖も、敢えて相驚かず。一切この恐れ無き故なり。これを以て思うに、貞直の道、こいねがいて猶こいねがうべきものか。彼岸会の所作は今夜結願(終了)した。

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