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2006年12月 5日 (火)

2月21日 「吾妻鏡」「木曽殿の御下文」

2月20日 天陰
「頼朝勧賞につき過分事望まずと申す」
 去る月二十一日頼朝の許に遣わす所の飛脚が帰参した。頼朝申して云く、勧賞の事ただ上の御計らいに在り。過分の事一切欲する所に非ずと。
(注釈)
勧賞(けんじょう)・・・功労を賞して官位を授け、または者を賜ること。

2月21日 雨下
「僧事あり」
2月21日 「吾妻鏡」
「木曽殿の御下文」
 尾籐太知宣と云う者有り。この間義仲朝臣に従属した。而るに内々御意向を伺い、関東に参向した。武衛(頼朝)は今日直接に詳細を質問された。信濃の国中野の御牧、紀伊の国田中・池田両庄、知行せしむの旨これを申した。何の由緒を以て伝領せしめたかの由を質問された。先祖の秀郷朝臣の時より、次第に承け継ぐの処、平治乱逆の刻、左典(義朝)厩の御方に於いて、牢籠するの後得替した。これを愁え申すに就いて、田中庄は、去年八月、木曽殿の御下文を頂いたの由これを申した。彼の下文を召し出しこれを御覧なされた。仍って知行相違無しの旨仰せられた。

2月22日 天晴 
「法恩講」
「諸国兵粮米を責め取り他人領を押し取るを事を停止す」
左大弁経房卿が来た。語りて云く、諸国への兵粮の責め、並びに武士が他人の領を押し取る事、停止すべきの由宣旨を下さる。武士実に申し行うと。

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