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2006年12月 6日 (水)

2月23日 「武士押妨停止の宣旨」

2月23日 
 大夫史隆職、近日下さるべきの宣旨等これを注進した。仍ってこれを続け加ふる施行、更に以て叶うべきもない事か。法有りても行わなければ法無きに等しい。

「宗盛追討宣旨」
 まさに散位源朝臣頼朝をして、前の内大臣平朝臣(宗盛)以下の党類を追討せしむべき事
右、左中弁藤原朝臣光雅が宣を伝え、左大臣が宣した。勅(みことのり)を奉る。
前の内大臣(宗盛)以下の党類、近年以降専ら国家の政を乱した。皆これ氏族の為である。遂に都を出て、早く九州地方の海に赴いた。就中山陰・山陽・南海・西海道の諸国を横領し、偏に年貢を奪い取る。この政途を論ずるに、事は通常に絶える。宜しく彼の頼朝をして件の輩を追討せしむべしといえり。
     寿永三年正月二十六日     左大史小槻宿祢

「源義仲党類追討宣旨」
 まさに散位源朝臣頼朝、その身源義仲の仲間を捕らえ進上せしむべき事
右、左中弁藤原朝臣光雅が宣を伝え、左大臣が宣した。勅を奉る
謀反の首領の義仲の残党が遁れて都や田舎に在るの由、広くその聞こえ有り。宜しく彼の頼朝をして件の輩を捕らえ進上せしむべしといえり。
     寿永三年正月二十九日     左大史小槻宿祢
   五幾内七道諸国同じくこれを下知す

「武士押妨停止の宣旨」
 まさに散位源朝臣頼朝をして、且つは詳細を捜し尋ね言上を経て、且つは武勇の輩の神社・仏寺、並びに院宮諸司及び人領等を押妨することを停止に従わせしむべき事
右近年以降、武勇の輩が天皇が定めた法令を遵守せず、恣に私威を輝かし、自由を成した。文を下し全国に廻らし、或いは神社の神供を押しけがし、或いは仏寺の仏物を奪い取る。まして院宮諸司及び人領までも。天のせめ遂に露れ、民の憂い定まること無し。前事の云存、後輩は慎むべし。左中弁藤原朝臣光雅が宣を伝え、左大臣が宣した。勅を奉る。自今以後、永く停止に従い、敢えて更に然ることなかれ。但し由緒有るに於いては、彼の頼朝詳細を相訪らひ、官に言上し、もし制旨にしたがわず、猶違犯せしめば、専ら罪科に処し、曽って罪科をゆるさずといえり。
     寿永三年二月十九日      左大史小槻宿祢
    左弁官下
        五幾内諸国七道諸国に下すこれに同じ

「公田庄園への兵粮米を徴集停止の宣旨」
 まさに早く国司に仰せ、公田庄園の兵粮米を宛て賦課する事を停止すべき事
右治承以降、平氏の党類は暗に兵粮と称し、院宣をごまかして作成し、ほしいままに全国の庄園公田に宛て賦課し、すでに敬神尊仏の模範となる大法を忘れた。世の衰微・民の疲弊、もとよりとしてこれに由る。まして源義仲その跡を改めず、益々この悪を行う。曽(かつて)って朝廷の権威を失い、共に幽冥に背く。ここに散位源朝臣頼朝、幾日を廻さず西賊を討滅した。然れば則ち戦は永くおさまり・天下は穏やかに治まった。権大納言藤原朝臣忠親が宣した、勅を奉る。早く諸国司に仰せ、宜しく件の賦課する事を停止すべしといえり。諸国承知せよ。宣に依りこれを行う。
     寿永三年二月二十二日     左大史小槻宿祢
   中弁藤原朝臣

2月23日 「吾妻鏡」
 前の右馬の助季高・散位宗輔等、義仲朝臣に同意するに依って、これを召し禁(いま)しめられ、検非違使庁(警察兼裁判所)に下さると。

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