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2006年12月 4日 (月)

2月16日「頼朝上洛せざれば院東国臨幸ありという」

2月16日 天晴 
「頼朝上洛せざれば院東国臨幸ありという」
 源中納言雅頼卿が来た。語りて云く、頼朝は四月上洛すべしのようだ。次官親能は法皇の御使として東国に下向した。仰せに云く、頼朝もし上京しなければ、東国にお出かけ有るべきの由仰せ有りのようだ。この事は殆どきちがい沙汰である。凡そどうしようも出来ないようだ。

2月17日 微雨下 

2月18日 天晴 

2月19日 天晴 
「忠通(父)忌日」
「平氏讃岐国屋島に帰住す」
この日、中御門大納言が来られた。
 伝聞、平氏は讃岐八島に帰住した。その勢三千騎ばかりのようだ。渡された首の中に、教経に於いては一定現存するようだ。また維盛卿は三十艘ばかりを相卒い南海を指し退去したようだ。又聞く、資盛・貞能等、豊後の住人等の為生きながら取られたようだ。この説、日来風聞すと雖も、人信受せざるの処、事すでに実説のようだ。また聞く、重衡卿は万事尋問されるの間、兼実が天下を治めるべきの由、平氏は議定するの間申せしめたようだ。
「兼実平氏との音信問わる」
よって尋問されて云う、もし音信を通ずる事あるかと。申して云う、その条一切知らず。只傍若無人たるにより、その仁に当たると。

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