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2006年11月15日 (水)

1月13日 「平氏入洛せざる三つの由緒」

1月11日 朝間雨下る、午後天晴
 この日内密に女房等を奈良に行かせた。世間の物騒の理由に依る。基輔の母尼は奈良に下向した。これを以て名となす。
今朝、義仲の下向は忽ち停止した。物の告げ有りに依るようだ。来たる十三日平氏入京すべし。法皇を彼の平氏に預け、義仲は近江の国に下向すべしようだ。

1月12日 朝間雨下る、晩に及び大風 
この日大将(良通)の女房は叉奈良に下向した。但し頼輔入道は日来中川(山寺なり)にあり。その所に行かせた。
伝聞、平氏この両三日以前に使を義仲の許に送りて云く、再三の起請に依って、和平の儀を存ずるの処、猶法皇をお連れなさり、北陸に向かうべきの由これを聞いた。すでに謀叛の儀である。然れば同意の儀用意すべしと。仍って十一日の下向は忽ち停止した。今夕から明朝の間、第一の郎従(字は楯のようだ)を派遣すべし。即ち法皇御所中の守護の兵士等を召し返したようだ。

1月13日 天晴
今日明け方より午後2時ごろに至り、義仲は東国に下向の事、有無の間変々七八度、遂に以て下向せず。これ近江に遣わす所の郎従が飛脚を以て申して云く、九郎の勢僅かに千余騎のようだ。敢えて義仲の勢に敵対すべからず。仍って忽ち御下向有るべからずと。これに因って下向は延引したようだ。
「平氏入洛せざる三つの由緒」
平氏今日入京すべき一定の処、然らざる條三つの由緒が有るようだ。
一は義仲は法皇をお連れなさり、北陸に向かうべき由が風聞の故、
二は平氏は武士を丹波の国に派遣し、郎従等を招集させた。仍って義仲また軍兵を派遣し相防がせた。然る間、平氏は和平を決定した。仍って事が決定の後、飛脚を遣わし引き退くべき由仰せ遣わす処、猶合戦を企て、平氏方の郎従十三人の首すでにつるしたようだ。茲に因って心を置き遅怠した。
三は行家は渡野陪(わたのべ)に出で逢いて、一矢射るべきの由を称したようだ。この事に因って遅延した。
縦横の説信じ取り難しと雖もデマに非ずに依りこれを記録した。

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