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2006年11月20日 (月)

1月21日 「吾妻鏡」「樋口の次郎兼光を捕らえる」

1月21日 天気晴れ、物忌み昨の如し。
ある人が忠告して云う、甘摂政(藤原師家)は安堵すべからず。兼実が出馬すべしと。私はこれを案ずるに、末世の作法進退について天下を恐れ国を棄てざる条あり。政道の治乱を頼むあるに似たりと雖も、偏に法皇の最にあるべし。法皇が天下を治める間、乱亡止むべからず。不肖の者、委任の任に当たらず。恐らく後悔あるか。これに加え、兼実が朝廷に置いて身命を惜しまざる条、仏天知見あるべし。然れば即ちもし世の運あれば、天は士を棄てるべからず。運無くば、また一旦の浮栄を欲せざる所である。只、伊勢太神官、春日大明神に奉仕せんに及ばない。依って一言も申し上げず。忠告する人云う、甚だ強しといえり。晩に及び呼び出しあり(定長が奉行、定めらるべき事があるようだ)。風病(ふうびょう、かぜか中風)のてだて無し。事は偽り飾りにあらず。よってその詳細を申した。今朝、大外記頼業が来た。世上の事を談じた。晩に及び大夫吏隆職が来た。洗浴の間これに会見せず。
「基通摂政に還補せらる」
ある人云う、前摂政(基通)が辞任した職に再び任ぜられる由のようだ。法皇の愛物である。いよいよ私が言葉を出す能わず。断じて断じて。

1月21日 「吾妻鏡」辛亥
「樋口の次郎兼光を捕らえる」
 源九郎義経主、義仲が首を獲るの由を申し上げた。今日の晩に及び、九郎主木曽が専一の者樋口の次郎兼光を捕らえ進上した。これ木曽義仲の使として、石川判官代を征伐する為、日来河内の国に在り。而るに石川逃亡するの間、空しく以て帰京した。八幡大渡の辺に於いて、主人滅亡の事を聞くと雖も、押し以て入京するの処、源九郎の家人が数輩馳せ向かい、相戦うの後これを生け捕るようだ。

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