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2006年11月19日 (日)

1月20日 「吾妻鏡」「範頼・義経入京」

1月20日 「吾妻鏡」
 蒲の冠者範頼・源九郎義経等、武衛(頼朝)の御使として、数万騎を卒い入京した。これ義仲を追罰の為である。今日、範頼は勢多より入京した。義経は宇治路より入る。木曽、(志田)三郎先生義廣・今井の四郎兼平以下は軍士等を以て、彼の両道に於いて防戦すと雖も、皆以て敗北した。蒲の冠者・源九郎、河越の太郎重頼・同小太郎重房・佐々木の四郎高綱・畠山の次郎重忠・渋谷庄司重国・梶原源太景季等を引き連れて、六條殿に馳参し、上皇の御所を警衛しなされた。この間、一条の次郎忠頼以下の勇士、諸方に競走し、遂に近江の国(滋賀県)粟津の辺に於いて、相模の国(神奈川県)住人石田の次郎をして義仲を誅戮(ちゅうりく)せしめた。その外錦織の判官(義高)等は逃亡したようだ。
 征夷大将軍従四位下行伊豫の守源朝臣義仲(年三十一)、春宮帯刀(とうぐうたてはき)の長義賢男。壽永二年八月十日、左馬の頭に任じ、越後の守を兼ね、従五位下に叙す。同十六日、伊豫の守に遷任(げんにん)す。十二月十日、左馬の頭を辞した。同十三日、
従五位上に叙す。同正五位下に叙す。元暦元年正月六日、従四位下に叙し、十日、征夷大将軍に任ず。
検非違使右衛門権の少尉源朝臣義廣、伊賀の守義経男。壽永二年十二月二十二日、右衛門権の少尉(元は無官)に任じた。使の宣旨を蒙る。
(注釈)
武衛(ぶえい)・・・兵衛府(ひょうえふ)。頼朝は兵衛府の佐(すけ)、次官だった。
誅戮(ちゅうりく)・・・罪あるものを殺すこと。
遷任(げんにん)・・・一旦退官したものが、再びもとの官職に任ぜられること。

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