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2006年11月26日 (日)

1月29日「平氏追討の派遣一定」

1月29日 天晴れ
「平氏追討の派遣一定」
この日法印(慈円)が来入された。中御門大納言(宗家)が来られた。
 また聞く。西国の事、追討使を遣わされる事一定である。今日すでに下向(去る二十六日出門)したようだ。その上猶静賢が使節を遂ぐべきの由仰せ有り。静賢は辞退したようだ。その故は、御使を遣わせられるは、彼のおそれの心を休ましめ、三神を安穏に入京させる為である。而るに武勇の者を遣わし征討するの上、何ぞ尋常の御使に及ぶや。道理叶わず。また使節を遂げ難きの故なりと。申す所尤も道理有るか。凡そ近日の儀はてのひらを反すが如し。不便と。
「全玄僧正の天台座主補任定まる」

「愚管抄」
かゝる程にやがて次の年正月の廿日、頼朝この事を聞いて、弟の九郎と云ひし者に、土肥実平(どひのさねひら)・梶原景時(かぢはらのかげとき)・次官親能(すけのちかよし)など云者を差し登らせましたが、なんなく京へ打いりて、その日の内に打取て首を取りました。その時すでに坂東武者が攻め上ると聞いて、義仲は郎等どもを、勢多・宇治・淀などの方へ散らして防ごうと、手広く企てて有けるほどに、機敏に宇治の方より、九郎、親義馳せ入りて川原に打立ちたりと聞きて、義仲はわづかに四五騎にて駆け出でた。やがて落ちて勢多の手勢に加わろうとして大津の方面へ落ちたのに、九郎追いかゝりて大津の田中に追い込んで、伊勢三郎と云う郎等が打ち取りと聞えてきた。首を持ちて参りましたので、法皇は御車にて御門へ出て御覧になりました。

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