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2006年10月15日 (日)

11月8日「平氏追討の為行家進発」

11月8日 天気晴れ、
「平氏追討の為行家進発」
今日、備前の守源行家が平氏追討の為出発した。見物者は語り云う、其の勢270余騎のようだ。おおいに少なしと為す如何如何。今日義仲すでに打ち立ち、只今乱に逢うの事の如し。法皇御所以下京都の諸人、毎家騒動した。
「兼実密かに神鏡等無事を第一とする旨を行家に示す」
そもそも三種の神器、無事に迎え取り奉る条、朝家第一の大事である。しかるに法皇と臣下共に此の指図無し。よって私は密かに此の趣を以て行家に言い含めた(全く親睦の縁なし、然れども偏に天下を思うにより、或僧を招き詳細に以て聞達した。中心の誓い、上下鑑みるべきのみ)。

11月8日[吉記]
「源行家平氏追討に進発す」
今日備前の守源行家は平氏追討の為出発した。父子駕車、今夜鳥羽に宿り、或る者言う、追討使が駕車の例は何時の事かと。叉言う、出発の時降雪、源氏の為吉事を為すと。出門のところに伴う軍兵は三百余騎である。三千騎に及ぶべきようだ。

11月10日 天気陰、午後雨下る、
「方違」
「北斗堂供養」
伝聞、頼朝の使い供物に於いて江州に到着した。九郎猶近江に在るようだ。澄憲法印を以て御使いと為し、義仲の許に遣わし、頼朝の使いの入京は、不安あるべからずの由と。悦ばずの様子有りと雖も、ねがいに承諾のようだ。勢が少なきに於いては、あながちに相防ぐべきでもない由申さしめたようだ。

11月11日 天気晴れ、晩に及び雨下る、

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