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2006年10月20日 (金)

11月18日「義仲に敵対するは王者の行いに非ず」

11月18日 天気晴れ、
「吉田祭」
此の日は吉田祭である。
「兼実良通共に院に参る」
早朝大将(良通)を伴い法皇御所に参ろうとする間、(大蔵卿、高階)泰経卿が奉行となり、只今参るべき仰せあり。承りたる由を申した。たちまち相共に法皇御所に参る。時に8時頃である。泰経卿を以て仰せ下されて云はく、世上の物騒、逐日倍増した。然り間デマが多く出で来た。御所の警護は法に過ぎた。義仲は叉命令に伏する意思が無きに似た。事すでに大事に及ぶ。よって昨日主典代景宗を以て御使いと為し、仰せられて云わく、征伐の為西国に向かうべき由、度々仰せ下さる。しかるに今下向せず。又頼朝の代官を攻むべき由申さしめたようだ。然からば早く行向かうべし。しかるに両方とも出立ちせず、すでに法皇に敵対しようとした。其の意趣は如何。もし謀反の儀が無くば、早く西海に赴くべしといえり。義仲は報奏して云う、先ず君に立ち会い奉るべき由、一切存知せず。これにより度々起請文書を書き進上した。今尋ね下される条、生涯の慶びである。西国に下向に於いては、頼朝の代官が数万の勢を引率して入京すべし。されば、一矢射るべき由、素より申す所である。彼を入れられるのでなければ、早く西国に下向すべきのようだ。
「法皇条々の事を兼実に諮られる」
この上頼朝の代官の事何様に仰せられるべきや。兼ねて又此の騒動に依り、法皇御所に天皇のお出で有るべきか。将に忽ち然るべからざるか。此等の条々について協議し申しあげるべしといえり。

「義仲に敵対するは王者の行いに非ず」
申し云う、先ず法皇御所中のご用心の条、頗る法に過ぎたり。是何故ぞや。ひとえに義仲に敵対されるものである。おおいに以て身苦しい。王者の行いに非ず。もし犯過有らば、只其の軽重に任せ、刑罰を加えられるべし。又仰せくだされる如くならば、申し状いまだ穏便のようだ。然らば先ず然るべき御使いを遣わされ、且つデマの次第を尋問され、且つ所行の不当の罪を問いただされ、もし告げ言う者どもを指し申すならば、法に任せ刑罰に行われるべし。先ず当時敵対の儀を止められるのが尤も宜しいようだ。義仲もし道理に従い和顔有らば、何ぞ征討に赴むくことがあろうか。たとい罪科有るべしと雖も、出境の後其の指図が有れば、当時の恐怖は有るべからざるか。京中間近の間、法皇に敵対されるの条、当時後代、朝の恥辱、国家のきず、何事か之に過ぎようか。もし又猶天皇の命令を受けるに背くならば、かの時法に任せ科断有るべきか。今の指図の如くならば、王者の徳は無しが如し。甚だ以て身苦しきか。頼朝の代官の条に於いて、勢少なくば入るべき由、義仲が申す旨、先日風聞が有り。更に変じ申すべからずか。又巨多の士卒を率いるならば、停止すべき由、かの代官に仰せられるべきか。天皇のお出かけの条、忽ちそうあるべきではないといえる。(大蔵卿、高階)泰経卿が御前に参りました。その後人々多く以て参集し、左大臣(経宗)以下大略残る人無きか。定長卿を以て暫く待機すべき由仰せられた。よって待機した。
「密々に行幸あり」
14時頃に及び、定能卿が内密に来た。告げて云う、只今御車を以て内密に天皇のお出でが成された。法皇はお知りなさらずのようだ。しばらくありて定長が来た。問いて云う、
「何処を皇居とすべきか」
図らざる外に天皇のお出でが有り。此の御所を以て皇居とすべきか。将に又猶閑院を以て皇居と為すべきか、協議し申すべしといえり。申し云う、此の御所を以て皇居と為さば、天皇のお出かけの条はおおいに奇異である。よって只殿上以下の事、閑院に在るべきかといえり。定長云う、左大臣(経宗)が申される旨同前のようだ。16時頃に及び待機した。殊に尋問せらるる事無し。よって(大蔵卿、高階)泰経に連絡して退出した。太夫吏小槻隆職宿祢が来た。私は之に会見した。小槻隆職宿祢の所存は私の案の如し。
「法皇の宮々院中に候す」
摂政今夜より院御所に参宿されるようだ。仁和寺宮(守覚)・八条宮(円恵)・鳥羽法印等、皆日来より法皇御所中にお出でのようだ。

11月18日 [吉記]
「後鳥羽天皇密密に行幸す」
天皇が今朝内密においでなされた。御車を用いなされた。内裏は有るべしの如くの儀在り。未曾有と云うべしか。
「北陸宮院御所より逐電す」
 高倉宮(北陸宮と号す)、日来法皇御所にお住まいでした。女房が一二人之に具し奉る。去る夜行方をくらまし逃げたようだ。
「上西門院皇后双林寺辺に渡る」
上西門院(統子親王)・皇后宮(亮子内親王)は内密に他所においでになりました。双輪寺辺りのようだ。院中の武士多田蔵人大夫行綱以下斉々か。
「院中武士参入」
義仲に相従う者どもの大略が参入か。
「仁和寺宮巳下相具武士群集」「守覚以下の僧侶辻を固む」
仁和寺宮(守覚)以下宮々、並びに山座主(明雲)、及他奏綱僧徒、各武士を相伴い、辻々に待機し、或いは防雑役車を引き、或いは逆毛木を引き、せきを堀、警護の様子は、言語の及ぶ所に非ず。但し偏えに是天魔の結構である。
「景宗御使いとなし義仲を勘発される」「法皇義仲に京退去を命ず」
昨日主典代景宗を以て義仲の許へ仰せ遣わし云う、偏えに公家を威し奉り、謀反を巧らむの由、其の聞こえ有り、本儀の如く追討の為西海に向かうべしは勿論、叉頼朝代官を防ぐため東国に向かうべし意有るべしか。京を早く退出すべし、明快に申し切らないようだ。
「義仲西海下向を承諾す」
今日西海に向かうべしの由両度申したり。解官有るべし否、叉追討されるべしの条、
「頼朝舎弟伊勢に着く」
頼朝の舎弟が伊勢神郡に着くの由、飛脚を進上したようだ。

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