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2006年10月13日 (金)

11月4日 「頼朝代官不破関に着く」

11月4日 天気晴れ、
「頼朝代官不破関に着く」
伝聞、頼朝の上京は停止が決定した。代官の入京である。今朝のようだ。今日布和の関(岐阜県不破郡関ヶ原町)に着くようだ。先ず事の由を申し上げ、御定めに随い上京すべし。義仲・行家等相防ぐにおいては、法に任せ合戦すべし。そうでなければ過平(和平?)の事有るべからずの由仰せ合わすようだ。
又聞く、平氏が讃岐の国(香川県)に在りは一定のようだ。この日小槻隆職宿祢が来た。

11月4日 [吉記]
 或る説に云く、平氏は讃岐(香川県)八嶋に在り。九州の者ども菊池以下、追討し進上する為、すでに文司関を出たようだ。
「家領志芳庄の脚力平氏の動向を報ず」
また安藝(広島県西部)志芳の飛脚が到来して云く、平氏が十月二十日九州を遂い出されたのは一定。事すでに必然である。また出家の人の数は多いようだ。
「頼朝上洛の途より鎌倉に戻り代官義経明日入京するとの説あり」
東国より上京の者等の数は多い。その説に云く、頼朝は鎌倉を立ち、足柄上道に至る。
その勢は騎兵歩兵相並び三百万人に及ぶ。その食糧は仮令三万石を超えるの間、必要な費用が調達出来ないの由、猶予するの間、法皇の使の康貞の下りに逢う。仍って鎌倉に帰舘した。舎弟の字九郎冠者、その名は義経という。幾ばくの勢も連れず代官として上道した。今日明日入京すべし。院の別進と同道のようだ。
国々庄々に下向の者ども或いはこれを施行し、或いは空しく帰京した。反儀の是非、上京を企図の間、毎事落着出来ないの故である。
また秀衡が進出した。義仲の子冠者が行方をくらまし逃げたの由が風聞した。虚報のようだ。

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