« 閏10月3日・・・10日 | トップページ | 10月14日「京中騒動す」 »

2006年10月 2日 (月)

閏10月13日「頼朝の申請により東海・東山道の荘園公領を本の如く領知すべき宣旨あり」

閏10月11日 晴れ
「頭弁(藤原)兼光消息」
「改元何月に行わるべきか」
「兼実返状」
「十二月改元に異議無し」

閏10月12日 天気晴れ、
「五節停止せられる」

閏10月13日 天気晴れ、
晩に及び、太夫吏小槻隆職宿祢が来た。世間の事を談じた。平氏は讃岐(香川県)の国に在るようだ。或る説に女房(女官)の船に天皇並びに三種の神器を同乗なさり、伊予(愛媛県)の国に在るようだ。但しこの条は未だ実説を聞かないようだ。又語り云う、院のお使いで庁官の泰貞、去る日重ねて頼朝の許へ向かった。仰せの趣旨は殊なる事無し。義仲と和平すべしの由である。
「頼朝の申請により東海・東山道の荘園公領を本の如く領知すべき宣旨あり」
そもそも東海・東山・北陸三道の荘園・国領を元の如く領知すべき由、宣旨を下されるべき旨、頼朝が申請した。よって宣旨を下された処、北陸道許り、義仲を恐れるにより、その宣旨を成されなかった。頼朝は是を聞けば定めて不快に思うだろう。おおいに不便の事である。この事未だ聞かず。驚き思うこと少なからず少なからず。
「義仲を恐るるにより北陸道は入らず」
この事、小槻隆職宿祢は不審に耐えず、(大蔵卿、高階)泰経に問う処、答え云う、頼朝は恐れるべしと雖も遠境に在る。義仲は当時京にある。当罰の恐れが有る。よって不当と雖も、北陸を除かれるとの由答えたという。天子の政、あに以てこの如しや。小人が近臣となり、天下の乱は止むべきの期待は無いようだ。
「北野小神の事未だ宣下なし」
「藤原資隆に良通の詩を見せしむ」

|

« 閏10月3日・・・10日 | トップページ | 10月14日「京中騒動す」 »