« 11月21日「義仲今後世間の事は基房に申し合わすという」 | トップページ | 11月23日「藤原実定の内大臣を借用という」 »

2006年10月23日 (月)

11月22日「藤原師家内大臣に任じ摂政とす」

11月22日 天気晴れ、
「藤原師家内大臣に任じ摂政とす」
早朝、太夫吏小槻隆職宿祢が告げ送りて云う、権大納言(藤原)師家が内大臣に任じ、摂政たるべき由仰せ下されたようだ。昨夜の2時頃のようだ。
「後鳥羽天皇閑院に御す」
晩に及び小槻隆職宿祢が来て語りて云う、主上(天皇)は閑院(かんいん、藤原冬嗣の邸宅)においでのようだ。今朝新摂政に参る人々済々、前摂政の居所近々、事甚だ掲焉(えん、いずくんぞ)と。私は今度の事を免れた。第一の吉慶である。
「合戦により天台座主明雲及び円恵法親王殺害さる」
伝聞、座主明雲は合戦の日、其の場に於いて切り殺された。又八条円恵法親王は華山寺附近に於いて伐ち取られた。又権中納言頼実卿、直垂折鳥帽子等を着け逃げ去る間、武士等卿相たる由を知らず、引き張りて斧せんとする処、自ら其の名を称すと雖も、衣裳の様子は尋常の人に非ず、偽りて貴種を称するなり。猶頸を打つべき由、各指図する間、下人の中に身知る者有り、実説の由を称した。よって忽ちに死を免れた。
「武士等頼実を経宗の許に送り纒頭を賜る」
武士等相共に父大臣(藤原経宗)の許に送るようだ。大臣は憂喜相半ばし、ほうびを武士等に与えたようだ。そもそも今度の乱、其の詮只明雲・円恵の誅殺にあり。未だ貴種高僧の此の如しの難に遭うを聞かず。仏法の為希代のきずである。悲しむべし悲しむべし。又人の運報、誠に測り難き事か。前摂政(基通)は去る7月の乱の時、専ら其の職を去るべき処、法皇の艶気に依り、動揺無く、今度何の過怠に依り所職を奪われたのだろう。
「基房に札を送り師家の吉慶を賀す」
入道関白(基房)の許へ書札を送り、其の子の吉慶の事を祝賀した。本意の由返礼が有った。
「義仲の許へ使者を遣わす」
又使者を以て義仲の許へに遣わす。是等当時の害を遁れん為である。
「清原近業落命すという」
又聞く、大外記頼業の子直講清原近業、流矢に中(あた)りて命を失うようだ。但し未だ一定を聞かず。よって父真人の許へ問ひ遣はす。今日訪札を前摂政の許に送る。
「殿歴」
この日天下穢れに依り、大原野祭り無し。よって奉弊せず。但し神斎恒の如し。殿歴の説に依るなり。

11月22日 「吉記」
「高階光兼出家」
蔵人大夫光兼は出家のようだ。去る19日は戦場にあり、即逃亡し、恥辱に及ば無いようだ。

|

« 11月21日「義仲今後世間の事は基房に申し合わすという」 | トップページ | 11月23日「藤原実定の内大臣を借用という」 »