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2006年10月28日 (土)

12月1日「大江公朝頼朝代官に義仲乱逆の次第を告ぐ」

12月1日 天気晴れ、
今暁女房最吉の夢あり。天下の穢れ気に依り、心経は書かず。件の写は春日神社の法楽の為である。よって穢れの限りを過ぎ書き奉るべきである。
「大江公朝頼朝代官に義仲乱逆の次第を告ぐ」
伝聞、去る21日法皇の北面に仕える下級役人2人(大江公友)が伊勢の国に到着し、乱逆の次第を頼朝の代官(九郎並びに斎院次官親能等である)に告げ示した。たちまち飛脚を頼朝の許へ差し遣わした。彼の帰来を待ち、命に随い入京すべし。当時九郎の勢は僅かに500騎、その外伊勢(三重県)の国人(在地の武士)等多く相従うようだ。又和泉(大阪府南部)の守平信兼同じく以て味方したようだ。信性闍梨が帰来した。比叡山より法印(慈円)の返事を示した。先日私の使となり登山する所である。
(注釈)
法楽(ほうらく)・・・神仏の手向けにするわざ。
斎院(さいいん)・・・賀茂神社に奉仕した未婚の皇女の居所。
闍梨(じゃり)・・・阿闍梨(あじゃり)?。僧位の一つ。

12月1日 「吉記」
「源義仲院厩別当となる」
伝聞、法皇は御厩(うまや)の事を義仲に仰せられるようだ。

12月2日 天気晴れ、
伝聞、義仲は使いを平氏の許に差し送り(播磨(兵庫県南西部)国室の泊りにあるようだ)、和親を乞うようだ。
「去る29日室山に於いて平氏と行家軍合戦す」
又聞く、去る29日平氏と行家は合戦した。行家の軍は忽ち以て敗績し、家臣の多く以て伐ち取られた。忽ち上京を企だてたようだ。又聞く、多田蔵人大夫源行弘(綱)は城内に引き籠もり、義仲の命に従うべからずのようだ。

12月2日 「吉記」
「義仲摂関家領荘園85箇所を給わる」
前摂政の御家領、一所御庄々85所、義仲これを給わり申した。

12月3日 天晴れ、
「義仲摂関家領86ケ所を賜るという」
伝聞、義仲一所を賜り、86ケ所を所領したようだ。
「藤原師家政所始め」
又新摂政の政所始めは去る29日のようだ。右中弁光雅が執事家司となるようだ。光長棄て置くか如何。拝賀は来る8日のようだ。
晩に及び小槻隆職宿祢が来た。前に呼び出し雑事を命じた。
(注釈)
家司(けいし)・・・三位以上の家の事務をつかさどった職員。
執事(しつじ)・・・事務を執りしきる者。

12月3日 「吉記」
「平氏入洛沙汰」
平氏入洛すべし一定。
「実清等義仲に召し籠められて後免ぜらる」
「解官」
右馬助源信国、左衛門尉平盛家

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