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2006年10月17日 (火)

11月14日 「平氏に使いを遣わし勅命を以て神器を返還せしめんとす」

11月14日 天気晴れ、
「大外記頼業を以て両息に尚書を教授せしむ」
大外記頼業が来た。大将(良通)・中将(良経)両息共に尚書(書経、中国最古の経典)を頼業より受け始めた。是兼日の支度に非ず、臨期に思い立つ所である。頼業は明経道(大学の四道の一)において昔の名士に恥じない者である。よってその説を請け習わせるためである。
「平氏に使いを遣わし勅命を以て神器を返還せしめんとす」
16時頃、頭弁(藤原)兼光が法皇の御使いとなり到来した。
仰せ云う、三種の神器、御所を出てて外に在り、わが朝の大事これに過ぎたるはなし。よって試みに御使いを派遣し、促すのに勅命を以てするは如何。此の事天下の異変が有りし時、人々は議論し申し上げ、あらかじめ其の指図有りと雖も、自然に数か月を送る。しかるに去る9月の日、前内大臣(宗盛)が法皇に書を上る。其の状に云う、宗盛に於いて全く法皇に背き奉るの意思は無し。事態が図らざるに出で、あわてふためくの間、旧天皇に於いては、当時の戦乱を遁れんため、お連れし奉り京外の土に難を避けて逃れた。然るに此の上の事、偏に法皇の決定に任すべしと。此の状の如くならば、いよいよ和睦の儀を表し、彼の三神を迎え奉られるべきか。しかるに義仲は追討の時、官兵が敗績し、此の時に臨み、御使を派遣されるは、辺境の民の愚、恐らく士卒の弱少にへつらいに依る由を存念するか。此の条如何。能く考え協議し申し上げるべしといえり。
 申し云う、此の事旧天皇が難を避けて逃れた時、速やかに此の議有るべし。しかるに延びて今に及ぶ。遅れ怠るの条、悔いて益無し。まして彼の漏達の趣あるに於いては当然であろう。御使い派遣されるの条、異議及ぶべからず。そもそもかの報奏の旨、密かにして豫議有るべし。遠く離れた土地の間、御使い更に帰参の後、重ねて其の儀有らば、怠け続けたる処、自ら変化有るか。よって先の事まで考えはかる知恵の及ぶ所、然も議定有り、御使いに含められるべきであるといえり。頭弁(藤原)兼光云う、摂政(基通)が申されて云わく、御使いの上、その人が書いた文書を以て女院(建礼門院平徳子)に献ぜられるべし。殆ど疑いを避けるためである。左府(経宗)申されて云わく、御使い二人有るべきなりと。私は云う、此の儀共にそのようにあるべきだ。そもそも役目にふさわしい人を撰び、其の人を差し出されるべしといえり。頭弁(藤原)兼光は退出した。

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