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2006年10月 9日 (月)

閏10月24日「義広に備後国を賜い追討使とすべき事を義仲主張す」

閏10月24日 天気晴れ、
「義広に備後国を賜い追討使とすべき事を義仲主張す」
伝聞、義仲は法皇に重ねて申し上げて、義広を以て平氏追討すべきの由、申請を許されないの条、未だ其の意を得ない、猶まげて義広を使わそうと欲した。兼ねて又備後の国をかの義広に賜り、其の勢を以て平氏を討つべしと。仰せ云う、全く許さない儀に非ず、件の男は弱体の由をお聞きなされた。よって叶うべからずの由思いなされ、故に指図を仰せられないのである。しかれども猶宣しかるべき由、協議し申すならば、異儀におよぶべきでもないと。国事又お聞きなされた。但し忽ち役人に任ぜらるべきではないようだ。
奈良僧正(信円)が文書を送り云う、法皇より内密にお呼び出し有り。よって明日あからさまに上京すべきようだ。

閏10月25日 天気晴れ、
「諸社に楽器を奉納す」
「笙(しょう)二管賀茂社琵琶春日社龍笛熊野社」
「方違」
「信円上洛す」
「頼朝相模鎌倉城を起つも秀衡の襲来を恐れ参洛せずという」
伝聞、頼朝は相模の鎌倉の城を起ち、暫く遠江(静岡県西部)の国に住むべし。是を以て精兵五万騎(北陸一万、東山一万、東海二万、南海一万)が義仲等を討つべし。其の事指図する為のようだ。当然其の身が上京すべき処、奥州の秀衡また数万の勢を率い、すでに白河の関を出たようだ。よって彼の襲来を疑い、中途に逗留し、形勢を伺うべきのようだ。去る五日城に赴くようだ。

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