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2006年10月 6日 (金)

閏10月20日「義仲十月宣旨のことにつき遺恨を申す」

閏10月19日 天晴れ
「義仲法皇以下を奉じて北陸に向かうとの風聞あり」
有る人云う、来る26日に法皇が遠出有るべきようだ。是は昨日(藤原)範季(院の臣)が語る所の儀状か。将に又義仲は法皇以下主要な公卿等をお連れなさり、北陸に向かうべしの由の風聞がある。此の両事の間か。凡そ左右する能わずと。
「法皇新日吉社より忽ち還御す」
法皇は今日より三ケ日、今比叡(新日吉神宮)に参籠(昼夜こもって祈願する)なさるべしと雖も、天下の物騒に依り、忽ち以てお帰りのようだ。凡そ法皇御所の中の近臣のあわてふためくこと極まり無しのようだ。何事かは不明である。

閏10月20日 天気晴れ、
「静賢法皇の使として義仲亭に向かう」
早朝、大外記頼業が来た。昨日の召しに依りてである。粗く示し仰する事有り。申す所然るべし。今日静賢法印が法皇のお使いとなり、義仲の家に向かひ、仰せて云わく、其の心中説(よろこ)ばざる由お聞きなされた。詳細は如何。身の暇を申さず、俄に関東に下向すべしと。此の事等は驚き思しなされる所なりといえり。
「義仲十月宣旨のことにつき遺恨を申す」
申していわく、法皇を怨み奉る事二ケ条、
其の一は、頼朝を重用される事、よろしくない由申すと雖も、御承引も無く、猶以て重用された。
其の二は、東海・東山・北陸等の国々に下された所の宣旨に云う、もし此の宣旨に従わざる者どもにおいては、頼朝の命に従い追討すべしと。此の条は義仲にとって生涯の遺恨となるものであると。
「頼朝軍を防がんとして義仲東国に赴くという」
又東国への下向の条においては、頼朝が上京するならば、相迎え一矢射るべしの由、素より申す所である。しかるにすでに以て数万の精兵を差し、(其の身は上らず)上京を企てたようだ。よって相防ぐため下向しようとした。更に驚き思われる事ではありません。そもそも法皇をお連れなさり、戦場に臨むべし由、議論し申すの旨お聞きなされた、返すがえす恐れ申す。極まり無き無実であると(以上義仲の申し状)。静賢法印は帰参し、此の由申さんとする処、御行法の間に依り、申し入れが出来ない。然る間に義仲は重ねて使者を以て静賢の許に示し送り云う、猶々関東へお出かけの条、殊に恐れ申す。早くとりついで申し上げる人を承るべしと。
「源氏一族義仲宅に於いて会合すという」
件の事は昨日、行家以下の一族源氏等が義仲宅に会合し、議定の間、法皇をお連れなさるべき由、其の議案が出て来た。しかるに行家・光長等、一切然るべからず。もし此の儀をなさば、違背すべき由、執論の間、其の事は決定しなかった、
「源行家密かに委細を天聴に達せしむ」
件の詳細を以て、行家が法皇に内密に申し上げたようだ。義仲は無実を申した。定め以ていつわりか。恐れ恐れを為す、兼ねて又義仲は殊に申請の事があるようだ。頼朝を討つべしの由、一行の証文をいただき、東国の郎従等に見せたいようだ。此の事すでに大事である。左右する事は出来ない。
「平氏優勢」
又伝聞、平氏の党類、九国を出て四国に向かうの間、甚だ弱小であった。しかるに今度官軍敗績の間、平氏其の衆を得て、その勢力は甚だ強盛となる。今においては、直ちに追伐は困難のようだ。しかるに義仲等甚だ安平の由を称した。是は又いつわりの言葉のようだ。天下の滅亡只今来月に在るか。

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