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2006年10月22日 (日)

11月21日「義仲今後世間の事は基房に申し合わすという」

11月20日 天気晴れ、
「基房五条亭へ参るという」
伝聞、入道関白(藤原基房)は去る夜より五条亭に参り宿泊した。義仲が迎えに寄すようだ。花山大納言(藤原兼雅)は日野の方へ向かい逃げたようだ。或る人云う、源雅賢は搦め取られた。又源資時は切り取られたようだ。但し一定の説を知らず。後に聞く、両人共に搦め取られ武士の許に在るようだ。

11月20日 「吉記」
「上西門院等五辻前斉院御所に渡御す」
あわてふためくの間、出仕に及ばずの処、上西門院(統子親王)が五辻前斉院御所にお出かけ有るべしの由、前斉院よりその仰せ有り。仍ってすぐさま参上した。午後4時頃、女院・皇后宮(亮子内親王)・前斉院等が御同車でおいで、ひとえに略儀である。宮大夫御車寄せ、右京大夫・光雅朝臣・基宗朝臣等が従がう。以て御堂御所を御所と為した。予め検知を加えた。人々に会見の後、夕方に退出した。この時、別当(藤原実家)・宮権大夫等が参入した。

11月21日 天気晴れ、
今日定能卿が参院した。(藤原)親信卿は相替り退出したようだ。昨日静賢法印は又呼び出しに依り院に参り、見参に入るようだ。
「義仲今後世間の事は基房に申し合わすという」
又義仲は内々示して云う、世間の事は松殿(藤原基房)に申し合わせ、毎事指図を致すべしと。頗る静賢詳しからざるか。
「基通入京す」
今夕16時頃、摂政(基通)は奈良より入京した。前駆け6人、共78人、済々たる威光のようだ。私は案ずるに感心せず、忍びて入京されるべきだろう。
「義仲の政に預からざる旨を仏神に祈謝す」
私は内密に願かけして云う、今度義仲もし善政を行うならば、私は其の仁に当たる。此の事極まり無き不吉である。よって今度の事、其の中に入るべからず。義仲に従うべからざる由、いささか仏神に感謝した。言ふ莫れ言ふ莫れ。

11月21日 [吉記]
今日、伯耆の守光長以下の首百余、五條河原に懸けた。人以て目したようだ。義仲が検知したようだ。
「藤原脩範出家」
参議正三位左京大夫脩範卿、昨日醍醐寺において出家の由これを聞いた。元よりその志有り、当時元々の意思を遂げた。随喜すべし感歎するものである。年41、故信西入道(藤原通憲)の末子、母紀伊二位(藤原朝子)、法皇の御乳母である。
「藤原基通南都に逃る」
殿下(藤原基通)一昨日、奈良に入りなされた。別当僧正(信円)の房においでのようだ。
「円恵一昨日死去す」
或る説に曰わく、八条の宮(円恵親王)が花山寺附近で一昨日終命されたようだ。
「藤原師家摂政となる」
今夜、権大納言師家を摂政に為さるべしの由の宣下、上卿権中納言頼実卿が奉行である。重日(不吉な日)例の如し。長者の宣下、大下記師尚が花山院亭に持参した。蔵人少輔親経家司が之を見た。陣の儀尋ね記録すべし。内大臣に任ぜられたようだ。頭中将藤原隆房朝臣が深夜に内府(実定)に参り、暫く之触れ申す由を避けらせれるべしと。誰人の使いか。この如しの風聞。
「天下の庶勢は基房の沙汰」
天下の庶勢は入道関白殿基房の指図のようだ。大臣の借用は未だこの例を聞かず。上表無し。押してこの任ぜられる。乱世の政は驚くべき事か。叉前殿下の今度の罪科は何事か。

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