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2006年10月14日 (土)

11月7日「義仲を院中警護の人数に入る」

11月5日 天気晴れ、
「春日社奉弊、弥勒講」
伝聞、来たる八日行家が九州へ下向に一定した。義仲は下向すべからず。頼朝の軍兵と雌雄を決すべしのようだ。

11月6日 天気晴れ、
「春日祭」
「平頼盛鎌倉に赴き頼朝と対面すという」
或人云う、頼盛はすでに鎌倉に到着した。唐綾の直垂・立鳥帽子、侍二人、子息皆悉く同道して、各腰刀剣等持たずのようだ。頼朝は白糸葛水干・立鳥帽子での対面、郎従50人許りが頼朝の後ろに群居したようだ。
「相模国府」
その後頼盛は相模の国府に宿泊した。頼朝の城を去ること一日の行程のようだ。目代(国守の代官)を以て後見と為すと。能保悪禅師の家に宿泊したようだ。頼朝の居を去る一町ばかりと。この事修行者の説である。雅頼卿が書き記し送る所である。
「五体不具穢」

11月7日 天気陰、晩に及び雨下る、
「義仲を院中警護の人数に入る」
伝聞、義仲は征伐されるべき由により、殊に用心し心配の余り、此の如く承り及ぶ由、法皇に申し上げさせたようだ。よって法皇御所中の警護の武士中に入れられ申したようだ。行家以下、皆悉く其の宿直を勤仕した。しかるに義仲一人其の人数から漏れる由、殊に奇を成すの上、又両者の間に立って告げ口する者が有るようだ。行家は明夕に下向が必定のようだ。頼朝の代官が今日江州に到着したようだ。其の勢僅か56百騎のようだ。忽ち合戦の儀を存せず。只物を法皇に差し上げるための使いのようだ。次官中原親能(広季の子)並びに頼朝の弟(九郎)等が上京したようだ。
「梅宮祭の弊河原より立つ」
「院の返札あり」

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