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2006年10月10日 (火)

閏10月27日「義仲と行家不和という」

閏10月26日 天気晴れ、
今日は終日、師景文書等を見て指図した。
「義仲興福寺に頼朝討伐を語らうも衆徒承引せず」
伝聞、義仲は猶平氏を討つべき由院宣が下された。ねがいに承諾したようだ。又聞く、義仲は興福寺の衆徒(僧兵)に触れ云う、頼朝を討つ為関東に赴くべし。同道すべしと。衆徒(僧兵)は承引すべからずと。夜に入り帰宅した。この日五位蔵人親雅が大将(良通)を催促して云う、ついたちの日、必ず出仕すべしということだ。承知した由を申したようだ。此の夜大将(良通)・中将(良経)密かに詩有り、無事他聞すべからずと。

閏10月27日 天気晴れ、
「源義兼来る」
夜に入り武者が来たり云う(源氏の武者である。源義兼、石河判官代と号す、故兵衛尉義時の孫、判官代義基の子である)平氏を討つため、行家が来月一日出発すべし。彼に伴う為、明日先ず河内の所領に向かうべしと。
「義仲と行家不和という」
其の次語り云う、義仲と行家すでに以て不和、果たして以て不快な事が出で来たるか。返すがえす不便と。其の不和の由緒は、義仲が関東に向かうの間、同道するの由行家に触れる。之を逃げ口上の間、日来頗る不快の上、此の二三日は殊に以て口やかましい。然り間行家は来月一日に下向は決定。
「義仲其の功奪わるるを恐れて行家に具して下向せんと欲す」
義仲又其の功を行家に奪われない為、同道して下向すべき由風聞したようだ。只今の如くは、うわべは悪しからずと雖も、其の実必ず相互に油断を狙うかと。又云う、行家に於いては頼朝に立ち会いすべきではないの由、内々議定したようだ。

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