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2006年10月19日 (木)

11月17日「義仲院御所を襲う由院中に風聞あり」

11月17日 雨下る、
「京中騒動」
午前4時頃、人告げて云う、法皇御所中に武士が群集した。京中騒動のようだ。何事かは不明である。
「義仲院御所を襲う由院中に風聞あり」
しばらくありて又人云う、義仲が法皇の御所を襲うべき由、法皇御所中にうわさが広まった。
「法皇が義仲を討たるか」
又法皇より義仲討たれるべき由彼の家に伝聞した。両方いつわりを以て告げ言う者有るか。此の如しのうわさに依って、彼是騒動した。敢えて云うべからずと。もし天皇の命令に背くならば、罪の軽重に随い、罪科行われるのは例である。又たとい王者の徳で世の中をよくすることに服従しない者有りと雖も、一国を横領し、都から遠く離れた土地に引き籠もる、ほぼ先例有り。未だ京中間近の間で此の如しの乱有るを聞かず。此の事は悪巧みである。義仲は忽ち国家を危うくし奉るべき道理なし。
「君が兵を集むるは志愚の政なり」
只法皇が城を構え兵を集め、大勢の心を驚かされるの条、専ら至愚の政である。是小人の計略より出たようだ。果たして以て此の乱有り。王事の軽き、是非の論ずるに足らず。悲しむべし、悲しむべし。午後に及び、いささか落居したようだ。
「法皇御愛物たるにより基通宿候す」
摂政(基通)が呼び出しに依り参入した。今夜は宿泊し待機するようだ。是御愛物たるに依り、殊に呼び出しに応ずるものである。他の公卿近習、二三人の外、参入の人無しのようだ。弾指すべし弾指すべし。藤原長方卿が一人参入し、悲泣して退出したようだ。
「義仲の許に法皇使者を遣わす」
主典代(大江)景宗を以て御使いと為し、義仲に遣わされた。其の状に云う、謀反の条、あらそい申すと雖も告げ言ふ人は其の実を称した。今に於いてのがれ申すに及ばざるか。

「義仲洛中に逗留するを勧めず」
もし事無実ならば、速やかに天皇の命令に任せ、西国に赴き平氏討つべし。たとい又法皇の命令に背き、頼朝の使いを防ぐべしと雖も、天皇の命令書を申さず、一身早く向かうべきである。京中に在りながら、動もすれば天子の耳を驚し奉り、諸人を騒がせるのはおおいに不当である。猶西方に向かわず、京中に逗留すれば、風聞の説、実に処せられるべきである。よく思量し進退すべしと。其の報奏の趣未だ聞き及ばず。

「兼実使者を以て物騒の子細を院中に尋ねる」
私は使者(国行)を以て法皇御所に進上させ、定能卿に示し送りて云う、病気に依り早く参らず、物騒の詳細、委しく告げ示されるべしという。返事の趣、大途風聞の如し。晩に及び、左少弁光長が来た。語る旨、又以て前と同じである。此の夜八条院(鳥羽天皇皇女、法皇の妹、暲子内親王)は八条殿にお帰りのようだ。疑うらくは明日の明け方、義仲を攻められるべきのようだ。左右能わず、左右能わず

「義仲勢僅かと雖も勇なり」
義仲其の勢幾ばくならずと雖も、其の衆おおいに勇をなすようだ。京中の征伐、古来聞かず、もし不慮の恐れ在らば、後悔は如何。

「近習小人により此の如き大事に至る」
小人等近習の間、遂に此の大事に至る。法皇の臣下を見ざるの致す所である。日本国の有無、一時に決すべきか。犯過無き身、只仏神に奉仕するのみ。

11月17日 [吉記]
「院渡御南殿」
京中は物騒のようだ。法皇は去る夜、南殿にお出かけである。武士が群れを成すようだ。

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