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2006年10月 7日 (土)

閏10月21日「頼朝追討の院宣を義仲請うも許されず」

閏10月21日 雨降り、
「頼朝追討の院宣を義仲請うも許されず」
義仲の所望の両条、頼朝を討つべき由の御文書を申しいただく事、並び宣旨の趣は、御定めに非ず。されば、公事を執行する人、いささか勘発有るべき条、共に 以て許さずと。この上今一重そむきなされるのかと。凡そこの両条の望み、太いに以て不当であり、許容無き条、尤も其の謂われ有りか。或るいは云う、平氏す でに備前(岡山県南東部)の国に来たる。凡そ美作(岡山県北部)以西、併せ平氏になびいた。殆ど播磨(兵庫県南西部)に及ぶようだ。疑うのは、もし義仲と 平氏は同意かと。
「基家逐電は義仲を恐れるか」
又云う、(藤原)基家卿が行方をくらまし逃げたようだ。頼盛の聟たるに依り、義仲に意趣が有るようだ。其の事を恐れ隠居したか。

閏10月22日 天気晴れ、
伝聞、今日義仲院に参る。
「頼朝の使者伊勢の国に来る」
又聞く、頼朝の使いが伊勢(三重県)の国に来たると雖も、謀反の儀に非ず、
「先日の宣旨を施行せんが為なり」
先日の宣旨を云う、東海・東山道等の荘園公領に、服従しない者どもあらば、頼朝に連絡し、指図致すべしと。よって其の宣旨の施行のため、且つ国中に仰せを 知らしめる為、使者を遣わす所であるようだ。しかし在地の民等は義仲の家来等の暴虐を憎み、事を頼朝の使いに期待し、鈴鹿山を切り塞ぎ、義仲・行家等の郎 従を射たようだ。
「義仲郎従等を伊勢に派遣す」
之に因り、義仲は郎従等を伊勢の国に派遣したようだ。
「家の重書を慈円の房に送る」
今日、家の重要文書等を山上に送った。慈円法印の無動寺の舎屋である。

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