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2006年10月26日 (木)

11月28日「基通の所領八十余所を義仲に賜わらんとす」

11月28日 天気晴れ、
(藤原)範季(院の臣)・光長等が来た。世上の事等を語る。
「基通の所領八十余所を義仲に賜わらんとす」
前摂政(基通)の家領等、混乱有るべからざる由、義仲が本所に示したようだ。然る間に新摂政(師家)が皆悉く下文を成し、八十余所を義仲に与えたようだ。 犯乱の世である。伝聞、借り(任)大臣の次第、先ず入道関白(藤原基房)が少将藤原顕家を以て使いと為し、内大臣(師家)に連絡されたようだ。希異の又奇 異、更に言語の及ぶ所にあらざるものか。

11月28日 [吉記]
「国尚書状を以て備前国合戦を報ず」
 前の兵衛の尉国尚、備前の守行家の同行の兵として西国に下向した。途中より書状を送りて云く、去る九日、三位中将重衡が大将軍として、三百余騎の勢を以 て、備前の国東川に押し寄せるの間、当国の検非違使所別当惟資・国の武者相共に合戦した。惟資は負傷した。武蔵の国の住人□四郎介並びに子息は打ち取られ た。仍って惟資は国府を引き山に引き入りたりの後、惟資は西川より千騎ばかりの勢を以て、16時ばかりに押し寄せるの間、平氏の兵が勝利した。少々武具を 脱ぎ棄てたようだ。件の日は暮れた。明暁すでに押し寄せるの由、国の武士が申せしむと雖も、検非違使所別当は即時に押し寄せるの間、18時ばかりに押し寄 せ合戦した。平氏方は五十四人討ち取られ、源氏方は国の武士や雑人二十人ばかりが打たれたようだ。
「平氏室泊に着く事」
また安藝(広島県西部)志芳庄より、飛脚が到来して云く、平氏の前陣が室泊の辺(播磨の国)に着いた。追討使が前宿に馳せ到着したようだ。
「院庁下文に加署す」
院庁の御下文が到来した。其の状に言う、前内大臣(平宗盛)以下党類追討すべしと。加判し返し給いた。
「解官」
今日解官の事有り。是非を知らず。嘆き、悲しむかな
(29日の玉葉の記述とほぼ同じ)
今度事に逢う人、皆法皇の近習の者どもである。その外基家卿並びに同家人が相交わるようだ。各所領を召し取られるべしのようだ。

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