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2006年9月12日 (火)

9月5日「京中の万人存命不能」

9月5日 雨下る、
「平氏の余勢減ぜず」
早朝ある人云う、平氏の党類、余勢は全く減少していない。四国並びに淡路・安芸(あき)・周防(すおう)・長門(ながと)並びに九州の諸国一同が加勢した。旧主(安徳天皇)崩御(ほうぎょ)の由が風聞した。誤りの説のようだ。当時は周防の国に在住した。但し国中に皇居に用いるべき家が無く、よって船に乗り浪の上に浮かぶようだ。
「鎮西に内裏を立てんとすという」
貞能以下、九州の武士の菊池・原田等、皆以て味方し、すでに九州に内裏を立て、出で来るに随い関中に入るべしと。明年の八月には上京すべくの由を計画するようだ。是等は皆風説に非ざるものである。14時頃、弥勒講に依り御堂に参り、晩に及び帰宅した。
「京中の万人存命不能」
ある人が言いました。近頃京都市内の物取りは、今や一層倍増し、どんな小さな物も外に持ち出す事も出来ない。京都市内の全ての人が、今や、一切生き永らえる事が出来ない。義仲軍は法皇の所領以下も不法に横取りし、日々倍増した。おおむね、僧も一般人も、身分の上下にかかわらず、みな泣いています。
「頼朝の上洛を頼みとす」
たのむ所はただ頼朝の上洛のようだ。かれの愚賢また暗に以て知り難し。ただ我が朝の滅亡、其の時すでに至るか。法皇は敢えて国家の乱亡を知らず。近日大造作(建築)を始められるようだ。院中の上下、嘆息のほか他事無きか。誠に仏法王法滅尽の秋である。
(注釈)
安芸(あき)・・・広島県の西部。
周防(すおう)・・・山口県東部。
長門(ながと)・・・山口県西部・北部。

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