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2006年9月30日 (土)

閏10月2日「平宗盛降伏の使者を義仲に遣わすという」

閏10月1日 天気晴れ、
「日蝕」
この日、日蝕である。
「時刻勘文に相違す」(略)
「春日朔弊」(略)

閏10月2日 天気晴れ、
「藤原光雅院宣を伝う」
「天下乱逆は崇徳院怨霊の所為という」
「成勝寺内に祠を建つべきか」
「御陵改葬の事につき先例の子細等を兼実に問う」
「山陵を置かずただ仏教によりて訪うべし」
「平城上皇の例」
「藤原兼光来る」
 16時頃、頭弁の藤原兼光が来た。私はこれに会見した(その儀は光雅に同じ。蔵人頭といえども家来であるの故なり)。
語り云う、平氏は始め九州に入ると雖も、在地の武士等は歓迎しないので、逃げ出で、長門(山口県西部・北部)の国に向かう間、又国中に入れず、よって四国に入ろうとした。平貞能は出家し、西国に留まるようだ。此の由は周防(山口県東部)・伊予(愛媛見)両国より飛脚を進め申したようだ。
「平宗盛降伏の使者を義仲に遣わすという」
又ひそかに義仲は兼光の許に使いを送った。其の男の説の如し。相違無し。その上申し云う、前内府(平宗盛)の許より義仲の許に使者を送り云う、今に於いてひとえに帰降すべし。ただ命を乞うと欲すようだ。この上三種の神器の事、支障無く、迎え取り奉られ難き事、第一の大事である。次第の指図は又以て説に背くか。
「改元あるべし」
「北野御幸賞」
「北野社内小神の神位増位の事」

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