« 10月4日「頼朝3ケ条申し状」 | トップページ | 10月9日 「頼朝忽ちに上洛すべからざる故を申す」 »

2006年9月22日 (金)

10月8日「頼朝が飛脚を進上」

10月5日 天気陰、
この日蒜(ひる、草の名)忌の内であるので、御堂に参らず。大将(長男の良通)が参る所である。夜に入り、按察入道(源資賢)が来た。蒜慎みの間に依り簾を隔てて之に会見した。世間の事等を談じた。私に種々の讒言(ざんげん)有りの由を聞き及んだ。且つ、その事に謝し遣わした。
(注釈)
讒言(ざんげん)・・・人をおとしいれるため、事実をまげ、またいつわって、その人を悪く言うこと。

10月7日 天気晴れ、晩に及び小雨、
「最勝金剛院領、伊賀国四ケ庄国司山本義経のため停廃さる」
最勝金剛院の領地、伊賀国四ケ庄皆悉く停廃した。国司山本兵衛尉義経が、院奏を歴て停廃する所のようだ。よって(高階)泰経卿に付き院奏を経て、今日(源)兼親を以て示し送る所である。返事の如きは大略無論の事のようだ。

10月8日 天気晴れ、
「頼朝が飛脚を進上」
伝聞、一昨日頼朝が飛脚を進上し、義仲等が、頼朝を伐つべき由の用意の事を不快に思うと申したようだ。(高階)泰経卿の許に文書を送るようだ。
また聞く、平氏等は九州に入ろうと欲すの間、猶在地の武士等を恐れ、なお周防(すおう、山口県東部。防州。)の国に帰還したようだ。
「法皇石清水御幸」
この日、法皇は石清水(いわしみず)宮へおいでになった。諸卿以下束帯(そくたい、天皇以下文武百官の正服)を着けお供したようだ。

|

« 10月4日「頼朝3ケ条申し状」 | トップページ | 10月9日 「頼朝忽ちに上洛すべからざる故を申す」 »