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2006年9月13日 (水)

9月6日「基房の謀略」

9月6日 天気晴れ、
「院供花」
今日より院の供花である。昨日より始めようとした。しかるに勅使参着の日たるに依り、忽ち延引したようだ。女医博士(丹波)経基を呼び寄せ、歯下針を加えた。
「基房の謀略」
 伝聞、入道関白(基房)が少将顕家を以て使いとなし、行家の許へ示し送られ云う(法皇が御逐電の刻の事である)、先ず摂政の職に於いては、正妻の子でなければ二男に及ぶと雖も、いまだ三男に及ぶの例は無い。しかるに私がその任務に当る由、世間が吹聴するのは太だ不当であると。又法皇に申し上げる旨も同前のようだ。この事は、ひごろ聞き及ぶと雖も、信用せざるの処、今日定説を聞き、驚奇は少なくない。凡そ天子の位、摂政の運、全く人力の及ぶ所ではない。たくらみの様子は軽々しい様に似たものだ。之に加え三男に及ばないの由はいかに。貞信公(藤原忠平)・大入道殿(藤原兼家)・御堂(藤原道長)、此の三代の例を棄て置くのか。法皇は白黒を区別せず、源氏は是非を知らず。只一言の狂惑を以て、万機の巨務を全て治めようとした。はかりごとの至り、神仏の罰は定めて速きか。弾指(警告のためつまはじき)すべし、弾指すべし。但し私に於いて、乱世の摂政は好む所ではない。

9月7日 今日頭を洗う、明日より念誦すべし、潔斎の為である。

9月8日 天晴れ、
「恒例念仏を始める」
早朝、法印(慈円)が来た。10時頃、仏厳聖人が来た。たちまち私は御堂に渡る。今日より恒例の念仏始めの為である。先ず受戒(聖人を戒師と為す)。午後1時頃、念仏を始めた。今日二万遍。

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