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2006年9月 9日 (土)

「愚管抄」

「愚管抄」

このようにして押し合ってごたごたしているうちに、「いかにも国王は三種の神器を所持して西国の方面へ落ち行きなされた。この京に国主が不在とはいかがであろうか」と云う指図がありました。父の法皇がおいでなので、西の国王の安否確認の後かなど様々に指図がありました。この間の事は左大臣、右大臣(兼実)、松殿入道(兼実の兄)などと云人に申し合せましたが、右大臣(兼実)の申す事がことに詳しいとして、それを用いることになりました。さてどうしても即位はあるべしとしても、高倉院の王子は三人おいでであります。一人は清盛の妻の時子がお世話をして船に乗せお連れになりました。残りの二人は京においでになります。その中の三宮(さんのみや)・四宮(しのみや)を法皇がおよびして、見ましたところ、四宮は人見知りもなく近づきになりました。又占いにもよく出ましたので、寿永二年八月廿日に四宮の即位の儀式が行なれました。万事が新例の儀式なので、申し合せながら、右大臣がことを処理して、国王がこゝに出現しましたので、天下はこのようであればいかにも落ちつこうとするぞと、日本国の有り様は今はこのようにとて、摂政こそはこのような事を指図することを、比叡山より下山するとやがて、近衛殿(基通)に摂政は元のようにと申し付けました。必ず平氏に同道し落ちるだろうと人は申しましたのに。又どのような事があったのだろう。されど近衛殿はこのような事を申し指図が出来る人ではありません。すこしでも確かでない事は右大臣に問いながらでありますので、たゞ名目ばかりの事にて、庄園の文書なども、自分よりも年下のまゝ母の手より得たる由にて、清盛にこのようになされた人であるが、猶このようにしてあらわれた。いかにも人々は心得ぬことにてありますが皆得心されました。これ程に乱れる世は何事も合理な事はあるまじき時節である。おおむね摂政の役目が始まりて後に、これ程までも役に立たない才能の人はいまだなし。かくてこの世は過ぎました。後に左大臣を贈られた範季(のりすゑ)が申すには、「すでに源氏は近江国に満ちて六はらの平家が大騒ぎの時、法皇は今熊野(三十三間堂の東南)に籠もりておいでの時に、近習に召し付けられてましたので、ひまの候しに、「いかにも今は不可能でしょう。東国の武士は人夫までも武術に関与していますので、此の平家はかなひません。平家を避け逃れるような御指図をなさるべし」と申しましたので、笑みをうかべまして、「いまこそ、その時期だ」とお言葉がありました」と語りました。もとよりの御案でありました。この範季は後鳥羽院(四宮)を養育しまして、即位の時もひとへに指図をなされた人である。位階は進みて二位までなりましたが、現在の天皇の母后(ぼごう)の父である。さて贈位(ぞうゐ)も頂きました。範季の姪の刑部卿の三位と云う人は能円法師の妻である。
(中略)

故卿(きやう)の二位は刑部卿三位の弟であり、ぴたりと君につき従いまして、このように果報の人になりました。

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