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2006年9月20日 (水)

10月2日「頼朝三ケ条の事を院庁官に付す」

10月1日 陰雨下る、昼間晴れ、晩に及び風吹き。
伝聞、先日頼朝の許へ派遣した所の院の庁官、此の二三日以前に帰参した。きわめて多くの贈り物を戴いたようだ。頼朝は折紙に記載し三ケ条の事を申したようだ。

10月2日 朝間天気陰、午後曇り晴れ、
「頼朝三ケ条の事を院庁官に付す」
ある人云う、頼朝が申す所の三ケ条の事、
1は平家が押領する所の神社仏寺の領地は、確実に元の如く本社本寺に還付すべき由、宣旨を下さるべし。平氏滅亡は、仏神の加護たるの故であると。
1は院宮諸家の領地、同じく平氏が多く以て横領したようだ。是も又元の如く元の主に返しなされ、人々の憂いを休められるべしと。
1は降参し帰来の武士等、各其の罪をゆるし、死罪にするべからず。其の故は何とならば、頼朝は昔、天子のとがめありの身なりと雖も、身命を全うするに依り、今君の御敵を討伐の任に当たる。今又落ち参る者どもの中に、自ら此のような類例が有るかもしれない。よって身を以てこれを思うに、敵軍なりと雖も、帰降の者どもにおいては罪科をゆるし、身命を生存させるべしと。この3条を折り紙に記載して言上したようだ。
一一の申し条は義仲等とはかなり異なるようだ。
「即位に紫宸殿を用うべき院宣有り」
ご即位の間、人々の申し状、去る夜、藤原親経の許へ返し遣わした。今日、返事が到来し、紫宸殿を用いるべしの由、院宣が有った。しかるに方角の事に依り、その指図は未だ出ないようだ。
伝聞、今年は五節供有るべしと。即位以前に五節供は久寿(きゅうじゅ、近衛・後白河天皇朝の年号)の例(二条院)のようだ。

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